今福 龍太 シェイクスピアと"Americas" 4  
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多言語的キャリバン
----キューバ文化の対位法

 

 一九七○年の時点で、ラテンアメリカの一人のラディカルな知識人が、自らの大陸の五百年史の展望にたって、どのような人物たちをこの西半球の象徴的な文化英雄として数え上げていたかを知る、興味深いリストがある。『キャリバン』(一九七○)と題された、キューバの詩人・批評家ロベルト・フェルナンデス=レタマールの重要なエッセイのなかに現れるこの人名のリストは、たとえばこうした名前によって構成されている。
 トゥパック・アマル、トゥーサン・ルヴェルチュール、シモン・ボリーバル、ミゲル・イダルゴ、ベニート・フアレス、アントニオ・マセーオ、ホセ・マルティ、エミリアーノ・サパタ、アントニオ・セサル・サンディーノ、フリオ・アントニオ・メリャ、ラサロ・カルデナス、フィデル・カストロ、エルネスト・チェ・ゲバラ、インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ、ルベン・ダリーオ、エイトール・ヴィラ=ロボス、セサール・バジェホ、ホセ・カルロス・マリアテギ、カルロス・ガルデル、パブロ・ネルーダ、アレッホ・カルペンティエール、ニコラス・ギリェン、エメ・セゼール、ホセ・マリア・アルゲダス、ビオレッタ・パラ、フランツ・ファノン・・・。
 一部を引用したにすぎないこれらの名をながめるだけで、すでに私たちは、ここに、ヨーロッパによって強要されてきた「歴史」への果敢で本質的な抵抗者たち、反逆者たち、そしてより近代的な文脈でいえば政治的・文学的・芸術的「革命家」たちへの限りない敬意と、その仕事と行動への強い共感をみてとることができる。六○年代以降のフェルナンデス=レタマールが、キューバ革命の社会主義的理念を支える理論家として自らの著作活動を方向づけていたことを認めるとしても、これらのリストがそうした革命理論のトーンによって著しく限定を受けているとは必ずしもいえない。むしろここには、政治的・イデオロギー的な信条や主義の枠組みをはるかに超えた、ラテンアメリカ・カリブの文化形成過程とその現実とを冷徹に見通す歴史的想像力がとらえた、真の意味での「われわれのアメリカ」の探求者たちのもっとも信頼するに足るリストの一つが提示されているといえるだろう。
 フェルナンデス=レタマールはこうした名前を列挙したあと、正当にこう問いかける?
「私たちの歴史とはなにか? 私たちの文化とは? それはキャリバンの歴史、キャリバンの文化以外のなんであるというのか?」
 フランス植民地の圧政からハイチ黒人国家を解放した奴隷出身の革命家。混血(メスティーソ)のメキシコ独立戦争の闘士。キューバの黒人クレオール詩人。ケチュア語とスペイン語で書いたペルーのインディオ美学の探求者。西欧音楽とアフロブラジル的民衆音楽を融合した独学のブラジル人作曲家・・・。こうした異形の文化英雄たちの存在を受けとめうるシェイクスピア的形象は、あきらかにアリエルではなく、キャリバンでなければならなかった。フェルナンデス=レタマールは書いている。

 われわれのシンボルはこうして、ロドーが考えたアリエルではなく、むしろキャリバンであることがわかる。このことは、キャリバンが生きたのと同じ島々の混血の住人たちであるわれわれが特別な明晰さを持って理解できることである。プロスペロが島に侵入し、われわれの祖先を殺戮し、キャリバンを奴隷にし、彼に意思疎通のための言葉を教え込んだ。その主人を呪い、「疫病でくたばれ!」と難ずるために、教えられた言語を使用すること以外、キャリバンに何ができるというのだろう? われわれの文化的状況、われわれの現実をこれ以上に正確に表現しうるメタファーを、私は知らない。
 自らを映し出すものとしてのキャリバンの「再発見」は、カリブ海の人間にとって、ほとんど直感的な理解にもとづくものであったことを、こうした文章は告げている。アリエルという静態的な文化形象の象徴的な汎用性が失われた二○世紀後半の「アメリカス」において、キャリバンはアフリカと先住民の系譜を強く抱え込んだ混血の文化英雄として、新しい世代のアメリカ人によって「ひらめき」にも似た直感力をなかだちにして召喚されたのだった。
 ユーロセントリックな思想環境のなかで理想化されたロドー以後のアリエルが、いまだ一九世紀的な美学を濃厚に映し出していたのだとすれば、キャリバン的自己意識のあらたな召喚とは、そうした一九世紀の美学からの決定的な断絶を画すものであった。そしてそれは、いうまでもなく、ヨーロッパ植民者とその子孫(クリオーリョ=植民地生まれの白人)たちによって支配されていたアメリカスの社会構造自体が、二○世紀を境にして、民族的混血化を経て社会の表面へと出現したメスティーソ(混血階層)たちの主導によるものへと変化しつつあったことを物語っている。フェルナンデス=レタマールの次のようなハイブリッドな文化認識は、二十世紀を通じたラテンアメリカ人の自己認識の基礎を形成するテーゼとみなしうる。
 われわれの文化---この概念を広範な歴史的・人類学的概念ととらえれば---とは、メスティーソの民衆によって創造されたものである。彼らはインディオ、黒人、そしてヨーロッパ人の混血化が生んだ末裔たちであり、搾取されてきた文化の担い手たちであった。
 搾取され、無化されてきたメスティーソ文化を起点にしてキャリバンの象徴性を最大限に呼び出し、それによってアメリカスの歴史を主体的に再創造しようとするこうした知的衝迫は、いうまでもなく、黒人的・インディオ的要素を評価しつつ二○世紀前半に蓄えられてきた多くの真摯な文化論的仕事に支えられたものであった。フェルナンデス=レタマールの依拠するキューバ的文脈でいえば、文化論の領域で画期的な業績を残した先人として二人の名を挙げることができよう。人類学者フェルナンド・オルティス(一八八一〜一九六九)と、作家アレッホ・カルペンティエール(一九○四〜一九八○)である。
 フェルナンド・オルティスが一九四○年にハバーナで刊行した大著『タバコと砂糖をめぐるキューバ的対位法』は、今日、カリブ海の一クレオール文化の形成を克明にあとづけた文化史的な金字塔というだけでなく、政治と文化変容をめぐって活発化するポストモダニズムやポストコロニアリズムの思想環境にたいしても多くの示唆を投げかける特権的なテクストとして読み直しが図られている、すぐれて思想的アクチュアリティをたたえた著作である。オルティスは、コロンブス以降の植民地キューバ社会の形成の歴史を象徴する二大作物となった「タバコ」と「砂糖」に焦点を当てつつ、土着インディオ、スペイン人、アフリカ人奴隷の三者がそうした社会経済状況のなかでいかなる文化的エージェントとして働くことによって二○世紀の混血キューバ社会が生成していったかを、「対位法」という音楽的比喩を借りながら克明にあとづけてゆく。
 オルティスによれば、植民地キューバにおけるタバコと砂糖の生産には、社会変容をめぐるさまざまな対抗的文化ダイナミックスがかくされている。オルティス特有の構造論的な分析にしたがえば、タバコは島の土着作物であり、黒く、男性としてジェンダー化されている。一方砂糖(サトウキビ)は、一四九三年コロンブスによって島に持ち込まれた外来作物であり、白く、女性としてジェンダー化される。しかもタバコは、伝統的に川の土手などの狭い農地において家内農業的に丹念につくられる労働集約的な作物であるのに対し、砂糖はいうまでもなく巨大なプランテーション農場における非人間的・機械化システムに依存した産物であり、組織的農業として中央集権化されている。そしてまさに、この外生の「白い」(現実にも比喩的にも)産物こそが、キューバに大量のアフリカ黒人奴隷を導入せしめた要因であり、キューバにおいて黒人文化が圧倒的な存在感を持つにいたった原因でもあった。こうして、島の土着の文化伝統を伝える数少ない文化要素としてのタバコと、まさに二種類の他者性の競合システムとして形成された砂糖産業とは、「対位法」的なからみあいを見せながら、植民地キューバの複合的な文化を生み出していったのであった。
 こうした複雑な文化接触と変容のプロセスを理論化するためにオルティスがあみ出した用語が「トランスカルチュレイション」(transculturation)という概念であった。一九三○年代以降、アメリカ合衆国人類学においては、「アカルチュレイション」(文化融合=acculturation)という概念によって文化変容のプロセスを定式化することが主流であり、レッドフィールドやハースコヴィッツといったラテンアメリカを主たるフィールドとする人類学者たちによって、この概念は、「直接的・継続的に接触関係にある複数の文化集団が相互的なプロセスとして異文化を受容し、適用させ、結果として自らの文化形態を変容させてゆく」過程に与えられた名前であった。しかしこの概念は、ややもするとより力を持った支配文化が周縁文化を吸収・融合させてゆく「同化」の運動として理解されることが多く、欧米の人類学者による周縁文化の変容形態の考察がどこかでそうした権力関係の構図を再生している印象を与えていたのだった。オルティスの著作は、こうした植民地的な文化変容の分析がもっている不徹底を嫌って、あらたに「トランスカルチュレイション」という相互交通的で中立的な造語の援用を提案したことによって、画期的なものとなった。

 黒人たちあとには、ユダヤ人、フランス人、アングロサクソン、チャイニーズ他、世界のほとんどあらゆる土地から人々が流入した。かれらはみな、新世界にやってくることによって、多かれ少なかれ、急激なトランスカルチャレイションの道程に踏み出したのだった。トランスカルチャレイションという用語は、一つの文化形態から別の文化形態への変容過程にかかわるいくつもの異なった側面をあらわすのにより適切な概念であると思われる。というのも、この言葉はアカルチュレイションという用語に顕著な異文化の獲得という意味をたんに示すだけでなく、旧文化の喪失や根絶(=ディカルチュレイション)のプロセスをも指し示すことができる。さらにこの概念は、文化の変容によってもたらされる、ネオカルチュレイションとでも呼ぶべき、新たな文化現象の創造という考えをもたらすこともできるのである。

 オルティスの文化論は、さらに詳細な検討を必要とする重要なテクストである。だがここでは、とりあえず、キューバというカリブ海の一地点において、植民地が生み出した混血文化を社会全体が共有する基本的な資産としてとらえ、そのうえにメスティーソによる主体的な文化認識をたちあげてゆこうとする考えが高らかに宣言されていた事実を確認しておきたい。フェルナンデス=レタマールによるキャリバンの召喚は、そうした文化論的蓄積の必然的な結果であった。そしてそれらは、ともに、スペイン語という言語によってなされた、キャリバンの多言語的変奏の力強い第一歩でもあったのである。   

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