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今福龍太が読む 10

丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』(河出書房新社)


 煽動的な書物である。それも魅惑的なまでに・・・。

 著者の過激な煽動は、思想と実践にかかわる一つの現代的な逆説のうえに打ち立てられている。その逆説とは、いまや魅惑的な煽動というものが、人を行動に駆り立てるというかたちではけっして起こりえない、という事実である。理念の幻影にたいするうたかたの夢ではあったにせよ、煽動が実践を前提としたイデオロギーを点火し、人を政治的・社会的行動へとうながしてゆく時代がかつてはたしかに存在した。だが、そうした政治的言説が現世的な効力を失い、硬直化した標語や滑稽なステロタイプに急速に瓦解してゆくのを二十世紀は目撃することにもなった。行動にかかわるマクロな「政治」は、もはや「煽動」と呼べるような狂騒と狡知に満ちた幻惑的なくわだてを組織する力を失ったのだ。それに代って、煽動の魅惑は、むしろ極小の政治の領域に、すなわちミクロな日常の言説や感情に封じ込められていた「無為」や「退屈」や「当惑」を刺激し、浮上させる方向へと向けられはじめた。他者をあおり、行動へと駆りたてるという意味を持っていたはずの「煽動」という概念自体が、ある意味でいま破産の瀬戸際にあることを、そのことは教えてくれる。

 この地点から、丹生谷貴志によるパラドクスとしての煽動がはじまる。無為と、無意味と、無名という虚空へ向けて、著者は私たちを低い声であおりたてる。思想とは、それが安易に行動という無思想へと横滑りしてゆく時にではなく、行き場をたたれた無為と、配慮すべき他者の消滅という、認識の消失点に向けられたとき、すなわち狂気と対峙したときにこそ、真に強度あるものとして鍛え上げられるという事実を、彼はアルトー、フーコー、ドゥルーズ、バルト、ベケット、安部公房ら離人症的扇動家の系譜に連なりながら語ろうとするのである。

 何もやることがない、何もできないという状況から脱出するのではなく、無為にとどまりつづけ、絶対的アンニュイを引き受けつづけること・・・。著者の言葉でいえば、「離人症において生き、自閉症において語る」ことは、しかし他者の介入を拒絶し、自己内論理において完結するその無謬性において、逃避的で卑怯ですらある態度と見なされることも多い。だが、むしろ介入という善意の惹き起こす悲惨について、現代社会は手厳しいレッスンを与えてくれているはずではなかったか。手を差し伸べようとして裏切られ、指導しようとして開き直られる・・・。

 その意味で、神戸の郊外、幾人もの少年Aがいまでも火照った顔をうつむけながら通り過ぎているであろう造成居住区の高層マンションに部屋を借りて住む著者は、無為と無名と永遠の退屈のなかで殺人へと昇華される狂気が準備されている現実の相が、離人と自閉の相のもとに編制されていることを知悉している。だからこそ、オウム、震災、猟奇殺人とつづく一連の風景が、無為の集中攻撃に傷ついた弱々しき無名者の救済を社会に要請するのではなく、むしろ自閉を生きぬく倫理の欠落を露呈し、絶対的な無名者に平然と名前を与えて夢を見させようとする社会の厚情がもつ無残を照らし出しているのだということを、著者は戦慄的なまでに鋭くえぐり出して見せるのだ。

 離人、自閉は癒されるべきなのではなく、生き抜かれるべき課題である。アンニュイへの沈潜によって、何かをなすべきであるという強迫観念のファシズムから身を引き離すこと・・・。ここには、他者への通路を意図的に閉じて、自己と自己の身体生理への配慮のなかに極小の「世界」をまるごと映し出してしまう、特異な思考者だけがいる。外界を遮断したとき、世界の道理はむしろ輝かしい自明性をもって「可知」の領域に誘導される。外界のすべての現象が、少なくとも論理的・美学的には全き「可知」であると宣言するようなそらおそろしい信念が本書にみなぎっているとしても、それは離人症を生き抜く者にとってはごくあたりまえの、なんら誇らしくもない日常にすぎないのだ。だがまさにこの非政治的・反時代的身振りのなかに、異様なまでのミクロな「政治」が姿を現すことに私は戦慄し、著者の自らへ向けてのつぶやきのなかに不可能なはずの他者への煽動を読み取ってしまうことになる。

 「結局僕はただ毎日部屋に座って、時々夕方に買い物に行って、猫と眼が合えば餌やって、突然熱狂してハーレーに乗るぞと叫んで直ぐに覚めて・・・音を消したテレビを二十四時間つけっぱなしにして・・・そんな生活をしながら老いてゆくわけです」。異形の扇動家の日常である。


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