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今福龍太が読む 18

島田雅彦『彗星の住人』(新潮社)


 二○○○年の早春、東京あたりならばちょうど桜の蕾がふくらみはじめる頃、ある遠い南の国の大都会で小説家とすれちがった。小説家は講演と朗読の忙しい旅を終えて帰途につくところであり、私はこれから大学で半年のあいだ講義するためにその混沌の都会に降り立ったばかりだった。正確にいえば、すれちがったのではなく、行きちがいというべきだろうか。小説家は、その国に住む虹のように変異する肌の色を持った人々の心につきまとってはなれない誘惑的な言葉の因子をそっと残して立ち去った。そのざわめく言葉の気配の残存だけを感じながら、私は発見後ちょうど五百年を迎えたその国のいまだ謎にみちた過去と現在を思いつつ半年を暮らした。

 その旅から戻ってまもなく、小説家の新著が贈られてきた。『彗星の住人』と題された作品である。私があの南国に流れた五百年の変転にあふれた歳月を反芻していたあいだ、小説家は私のいるちょうど対蹠地である地点から、「日本」という時空間を貫いて流れた二○世紀という百年の歴史の精査にとりくんでいたらしい。ひとりの人間の一生のスケールをはるかに超える壮大な歴史のうねりと振動のなかに、人間の理性と感情の微細な消息をさぐりあてようとする探求心が、小説家と私の現在時を結びつけているように思えた。日本と、その対蹠点に位置する混血の国・・・。それぞれの歴史が抱え込む領土や地勢や時間のディメンションのちがいを超えて、わたしはこの二つの歴史的省察の同時並行性に少なからず驚いた。

 『彗星の住人』が浮上させようとする日本の二○世紀の物語の発端は、一九世紀末の長崎に設定されている。すでに四百年以上前に、ポルトガル宣教師の来航によって外部との接触をはたしたこの港町は、鎖国後も唯一の開かれた港としてオランダ・中国交易によって栄え、日本でも例外的な文化・民族混淆の風土を維持しつづけてきた。そして小説家は、そこに想像力の奇想を得て、一八九四年、長崎に寄港した軍艦に乗っていたアメリカ海軍士官ピンカートンと芸者蝶々の恋の悲劇的結末として残されたという一人の混血児を、二○世紀の引き金を引く者として創造する。異国趣味のオペラが幻視した「日本」への結晶化されたロマンティシズムの閉域から離脱し、蝶々夫人とピンカートンの呪われた恋を文化混淆的な二○世紀ヴィジョンを生みだす母胎として夢想する。日本とアメリカの「はざま」、「あいだ」の時空間に二○世紀という歴史が深く刻まれてきたという事実の、一つの感情的由来がここにある、とでもいうかのように。

 ここから物語は静かに、しかし休むことなく動きだす。混血児を生み出した痛苦の恋の輪廻が歴史の中に回転しはじめる。恋と音楽が物語を牽引する因子となって、小説は、流謫と悲恋の宿命に呪縛された血族の四代にわたる苛烈な人生の軌跡を多声的に語りはじめる。そしてそれらの恋の背後には、太平洋を結んで仕掛けられる戦争と政治と陰謀とがたえず塗りこめられてゆく。アメリカ、満州、神戸、軽井沢、そしてどことも知れぬ川沿いの郊外都市。戦時情報局の諜報員、ハルビンに移り住んだユダヤ系ロシア人の音楽教師の娘、焼跡に登場したマッカーサー元帥、その愛人の日本人女優、小津安二郎でもありそうな老映画監督。皮肉と寓意にみちた虚実のあわいから、不思議に透明で一途な感情を具備した「歴史」のもうひとつの姿がおもむろに立ち現れてくるのを私たちは目撃する。  小説家自身のこんな言葉が、語り部である清楚な盲目の老婦人の声をさえぎるように響いてくる。「歴史は恋の墓場なのだろうか? それとも、恋をなかったことにするために、歴史はしるされているのだろうか?」 忘却された悲痛な恋、意識の内奥に押し込められて封印された禁忌の恋を救い出すことで、公的な歴史の健忘症に立ち向かおうとでもいうような小説家の熱っぽい衝迫がここにある。

 だがまた、長崎と同じ頃にやはりポルトガル人によって見い出され、長い植民地の経験から包容力ある社会の感情生活をつくりあげてきた、あの五百年の歴史を抱えた混沌の国から戻った私はこうも問いかける。小説家の「恋」への固執は人間の感情を苛烈な恋情がもつ包囲的な力によってより排他的なものへと誘導し、そのことによって歴史が身動きできない苦境へと連れ去られはしまいか、と。「恋」ではなく、より相互浸透的で包括的な「愛」という回路によって、ありうべき歴史を語ることもまた可能なはずだからだ。だがこの私の齟齬感や問いかけこそが、すれちがいつつ触れ合っている小説家と私が共有する「歴史の現在」を見事に照らし出しているのかもしれない。

 歴史が感情を持つとすれば、それはこのようなものであったかもしれない・・・。そう信じさせてくれる『彗星の住人』の、すでに小説家のなかに構想されているはずの続編を、心待ちにする。

 


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