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今福龍太が読む 5

宮内勝典『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社)


 取材から十五年。文芸誌に二年間にわたって連載されてから数えてもほぼ十年。長い年月をかけた改稿の作業をへて、ついに『ぼくは始祖鳥になりたい』が本になった。数年前、なかなか完成しない本を待ちきれず、雑誌連載された二十数回分の文章のコピーを束にしてアメリカに旅立ち、半年住んだニューメキシコのアパートでくり返し読んだ。著者のさしだすヴィジョンは、悲痛で、雲母の結晶のように危うく繊細でありながら、人間存在の宿命を受け入れ生の意味を肯定する、真摯で強靭な精神性に裏打ちされていて胸を打たれた。その強い印象は、改稿を経た本書においても基本的に変わりはない。

 だがたぶん、著者の世界と人間にたいするヴィジョンはさらに悲痛さを増した。主人公、左前頭葉から三四・五メガヘルツの電波を出す超能力少年ジローの圧倒的な寡黙さは、どうだろう。日系アメリカ人女性、黒人系混血の宇宙飛行士、インディアンの若く奔放な混血女性、先住民のゲリラ戦士・・・。ニューヨークから南西部の砂漠地帯、さらに中米のジャングルへと遍歴をつづけるジローが不思議な偶然に導かれるようにかかわってゆくこれらの人物たちが、いつのまにかジロー自身の身体のなかにすみつき、ジローの混合体としての肉体と意識を通じて、未来への声を世界に響かせようとする。その混合意識が発する声は、饒舌であるというよりは、むしろもどかしいほど寡黙だ。

 だがこの意志的な寡黙さこそが、本書の到達点なのだ。それは、国家機構や産業資本による弱者の抑圧と情報の寡占を批判し告発する強い衝動がもたらす最終的な寡黙さだ。

花がそこに存在するという「物理性」の世界と、思考と行動を通じて生きる意味を見いださねばならないという「意味性」の世界のはざまで引き裂かれている現代人に、小説という物語によって可能な未来ヴィジョンを与えようとする著者の危急の使命感を確信する。


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