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管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 1
本は読めないものだから心配するな


 本は読めないものだから心配するな。あらゆる読書論の真実は、これにつきるんじゃないだろうか。

 少年よ君はすぐ歳をとる、ごくわずかな間と思える光と影のうつろいも軽んじてはいけない、と古人は教えたが、人生はたしかに異常に短く、技芸の道は長い。ぼくも人の世の森のなかばに達したが、無知はいまも圧倒的につづく。世界にありうるすべての知はもとより、ひとりの人間だってせめてこのくらいの実用的知識は身につけられるはずだという予測的蜃気楼すら、茫洋とした地平線に浮かぶだけ。あそこまでは行けるんじゃないかという空間中の一点すら、まだまだグランド・キャニオンの谷底からはるか上方へとそびえたつ豪壮な断崖を見上げるようなもの。あたりまえだ、すべての人間は根本的に無知であり、どの二人をとっても共有する知識よりは共有する無知のほうが無限に大きいのだ。でもその無知に抵抗して、願わくは花粉を集める蜜蜂、巣をはる蜘蛛、ダムを作るビーバーのような勤勉さで、人は本を読む。

 私と世界、といった比べものにならないものをむすぶ「と」の使い方はニーチェを大笑いさせたが、もちろんぼくは「私」を「世界」に(少なくとも文法的に対等なものとして)対峙させるような、ドン・キホーテ的学識をめざしているわけではない。ただ、ひたすら海をめざして砂浜をはう海亀の赤ちゃんのように、海の明るみに飛びこみ、波に翻弄されつつ海流に乗り、遠い未知の大洋を自由に遍歴することを願うだけだ。その大洋の感触との関係に立って、何かをつかみ、しっかりと考え、的確に行動する。その「何か」が何なのかは、わからない。それはたぶん事後的にふりかえったときにしか、わからないものなのだろう。わからないなりに、その何かへの期待があるからこそ、本を読む。こうして見ると、ぼくはきわめて偏狭な、読書の実用論者だ。ただ楽しいからおもしろいから気持ちがいいから本を読み時を忘れ物語に没入するということは、ぼくにはまるでない。未来において「何か」の役にたつと思うから、読むのだ。「贅沢な読書」や「文学の楽しみ」といった考えほど、ぼくに無縁のものはない。第一、読書は贅沢よりははるかに窮乏の原因であり、楽しみよりははるかにひどい苦痛をもたらす。

 読書とは、一種の時間の循環装置だともいえるだろう。それは過去のために現在を投資し、未来へと関係づけるための行為だ。過去の痕跡をたどりその秘密をあばき、見いだされた謎により変容を強いられた世界の密林に、新たな未来の道を切り開いてゆくための行為。時間はこうしてぐるぐるまわり、自分はどんどん自分ではなくなってゆく。そこでもっともあからさまに問われる能力は、結局、記憶力だということになる。記憶力とは、流れをひきおこす力だ。過去が呼びだされ、その場に現在するテクストを通過して、ものすごい速さで予測される未来のどこかへと送りこまれてゆく。この加速力こそ読書の内実であり、読書の戦略とはさまざまな異質な過去を、自分だけではなく無数の人々が体験しその痕跡を言語によってなぞってきた過去を、どのようにこの加速の機構をつうじてひとつに合流させてゆくかということにほかならない。そしてこの流れだけが想念に力を与え、自分だけでなく「われわれ」の集合的な未来を、実際にデザインしてゆく。

 ところが、ああ、われわれの記憶力ほどあてにならないものもない。読書という、記憶がすべてである領域でさえ、その土台は鯰の背に乗ったようにぐらぐらと揺れてやまない。すぐれたフランス文学者で、大江健三郎の師匠だった渡辺一夫は、次のような楽しくも憂鬱な思い出を記している。フランス文学と一口にいっても、時代は数世紀にわたり、分野も傾向も文体も趣向もさまざまだ。ただひとりでも巨大な祝祭劇場であるラブレーを中心とするフランス・ルネサンスを専門とする渡辺の場合、その専門分野の読書はいろいろな参考資料を調べ調べ数時間をついやしてようやく五、六行すすむといった、まるでナマケモノの移動を思わせる緩慢なものとなる。そしてもちろん、外見の動きがどれほど緩慢だろうと、内面では思考の曲芸がくるくると続いているわけだ(そうでなければ何も読めない)。

 さて、ある日のこと、先生は朝から古いフランス本を開いて、その一ページをじっと見つめている。まるで進まないので、今日はこの一ページと討死することになる、と覚悟を決めながら。本には注がいっぱいあり、その中にラテン文の引用がある。それがわからないと本文の意味も、なんだかよくわからない。ところが先生は、あまりラテン語が得意ではないのだ。同僚の専門家にたずねるにせよ、電話でたずねるには文が長すぎる。仕方ないから明日学校でうかがおうと、その文を紙に書きとってみる。この一件は、これでいちおう棚上げ。しばらく油を売ってから、ともかく先にすすむことにする。二行ばかりすすむと、「A氏著B第C頁参照」という注がついている。この注自体にはあまり意味があるとも思えない。よく似た用例をあげてある程度だろうと見当をつけるのだが、ちょうどそのBという本を手元にもっているので、ともかくも

 

 

 思わず、こっちも顔がほころぶ。読んだ本の大部分が読まないのとまったくおなじ結果になっているのは、ぼくもおなじだ(ぼくが読んだ本はせいぜい先生の数十分の一だろうが)。一九五五年執筆というから当時五十四、五歳だった碩学は、この挿話から「読書=フィルム現像説」へと彼の「雑文」を展開させる。本が現像液で、感光したフィルムである読者はそれに浸されてそのときどき、その年齢ごとに読者自身がもつ影像を浮かび上がらせるにすぎない、という説だ。おなじ本でも読むごとに、読めるものがちがう。それなら一冊の本でも、自分が変わり成熟(?)すればするほど永遠に新しく読めるはずだ、という理想の境地も、論理的必然として予想される(もっともおなじ本の全体をべったりと二十回も三十回も読む人はその本の専門の研究者でもなければいないだろうし、文学研究者の看板を掲げている人でもそんなふうに徹底して読む本が五冊あればそれこそ職業的幸福というものだろう。それに世の中には『フィネガンズ・ウェイク』のように、まだだれも読みおえていない本だってある)。われわれの大部分はただ霧の森をさまよい、おなじ樹木に何度も出会いながらひどいときにはそうと気づきもせずに通り過ぎ、おなじ草を何度も踏んではかたわらに生えるおなじキノコにぼんやり目をとめるだけで、疲労をためてゆく。読書の道は遠い。

 ベンヤミンは、いつのころからか、自分が読んだ本に通し番号をつけていた(ということをどこかで読んだ)。本に関してはマニアックなやつだったので、潔癖にも読みもしない本に番号をつけるようなまねはしなかった(と書いてあったような気がする)。その番号は彼の死にいたるまで着実にふえてゆき、たしか千七百冊とか、そのへんの数字になっていた(まったく断言できないが)。まだ学部学生のころの話だが、その数をなんだそんなものかと思ったことを覚えている。というのもレヴィ=ストロ−スが一冊の本を書くためには七千冊の本に目をとおすとこれはどこかのインタヴューでいっていたのを覚えていたからで、この数の差は端的にいって文芸批評家と人類学者がおなじ「本を読む」という表現でどれほど異なった事態をさしているかの証言にもなるとそのとき思った。ぼくも長いあいだ、本は表紙から裏表紙まで読むもの読みたいものと考えて、その考えが災いして結局大部分の本は背表紙しか読まない結果に終わるのがつねだった。何かがまちがっている。ぼくは考えを変えることにした。本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。一冊一冊の本が番号をふられて書棚におさまってゆくようすは、銀行の窓口に辛抱強く並ぶ顧客たちを思わせる。そうではなく、整列をくずし、本たちを街路に出し、そこでリズミカルに踊らせ、あるいは暴動を起こし、ついにはそのまま連れだって深い森や荒野の未踏の地帯へとむかわせなくてはならないのだ。ヒトではじまりレミングの群れとなり狼の群れとなって終わる。あるいは、終わらない、どこまでもゆく。そんなふうに連係的・運動的に、さまざまな本から逃げだしたいろんな顔つきのページたちを組織する。そして読み、読みつつ走り、走りつつ転身する。それが「テクスト」であり、時間の経過の中ではじめて編み上げられてゆく「テクスト」という概念は、もともと運動的なものだ。構造主義・記号論以降に学生生活をはじめたというのに(ぼくが大学に入ったのは一九七七年、ちょうど二十年前)、「冊」という単位、書物の擬人化に、鋭敏さを徹底して欠くぼくは、あまりにも長く囚われていた。

 本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ。本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩か石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。流れは方向を変え、かすかに新たな成分を得る。問題なのはそのような複数のテクスチュアルな流れの合成であるきみ自身の生が、どんな反響を発し、どこにむかうかということにつきる。読むことと書くことと生きることはひとつ。それが読書の実用論だ。そしていつか満月の夜、不眠と焦燥に苦しむきみが本を読めないこと読んでも何も残らないことを嘆くはめになったなら、このことばを思いだしてくれ。

 本は読めないものだから心配するな。

 

  

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