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管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 3
Two Home Islands −二冊のエグジログラフィを読む


 二つの島の話をしよう。二人のアメリカ詩人がそれぞれ「故郷」と呼んだ、遠く離れた二つの島々について。一つは北太平洋のどまんなか、もう一つはカリブ海のどまんなかにある。ハワイとキューバ。詩人は日系アメリカ人のギャレット・ホンゴー(一九五一年生まれ)とキューバ系アメリカ人のグスターボ・ペレス・フィルマ(一九四九年生まれ)だ。かれらはそれぞれ、故郷の島と現在の自分との関係をめぐって、強く心に残る本を書いた。『ヴォルケイノ−ハワイの思い出』、そして『来年はキューバで−アメリカにおける一キューバ人の成長』と題されている。どちらも(ちょうどミシェル・レリスの『成熟の年齢』がそうであったように)人生の半ばに書かれた、現代の自伝の傑作だ。

 一見したところ、ホンゴーが語るのは三十年の不在ののちの故郷への帰還の歌、過去との和解の物語のように聞こえるし、ペレス・フィルマのそれは想像された故郷への禁じられた帰還に対する悲嘆、どうしても告げなくてはならない別れの言葉のように読める。ホンゴーは、一年にもみたない期間とはいえたしかに自分の生まれた島、ハワイ島はヴォルケイノ村に戻った。ペレス・フィルマは、子供時代に後にした、あれほどよく覚えている熱帯のはなやぐ都会をもつなつかしい緑の島に、戻ったことはなく、これからもないだろう。

 だがよく注意して読むと、そこには大きな反転があることに気づく。それがぼくにはおもしろかった。帰還をはたしたホンゴーの語る物語は、じつは土地に根ざしたアイデンティティという考え方の放棄であり、一方、帰りえなかったペレス・フィルマのほうは、革命以前のキューバ都市ブルジョワジーの歴史、生活、価値の大きな部分を−−かれらが奪われ、永遠に失われた過去を−−かえって強く肯定することになっている。二人ともその言葉は率直で、子供時代とそのさらにむこうにひろがる家系の過去に対する深いノスタルジアにみたされ、容赦ない自己点検によって自分の性格や個人史の光も影も、正直に露出させている。詩人とは本質的に正直な存在、たとえ嘘をついてもその嘘をつく口のかたちを自分で指さしてみせる存在だということを、改めて思わずにはいられない。

 それでは、自分はどこに所属するのか? その場所を求めようとしては、人は裏切られ、やがてはその「所属」という観念そのものを問い直す、長い旅に出ることになる。

 今日の世界において、われわれはどこの土地に所属するといえるのか。

 どのように所属するといえるのか。

 いったい少しでも、われわれは土地に所属しているのか。

 二人の回想の底流をなすのは、そうした一組の疑問だ。こうした疑問との対決をつうじて、それぞれの文化共同体に埋めこまれた二人の「私」は、その土台を崩され、残酷に、生々しく、剥き出しにされてゆく。

 二冊の本には、驚くほどいくつもの共通点がある。二人とも、言語に対して、人の名前に対して、食物や家族関係やエスニックな差異やそこから生じる葛藤に対して、きわめて敏感だ。「異邦」で育つすべての人なら、程度の差はあっても必ず気づかずにはいないことばかりだが、それを二人はことのほかよく記憶にとどめているようだ。もちろんこれらの主題は、マイノリティ、移民、亡命者のあらゆる自伝−−それらを総称して「エグジログラフィ」exilography と呼ぶことにしよう−−に、くりかえし現れるものだ。第一それが主流社会の目に、かれらを「異邦人」として徴づける要素なのだから。ホンゴーもペレス・フィルマも、他の多くの作家たちとおなじく、こうした主題については以前の詩で何度もふれてきた。二人のこれらの本は、そんなふうに以前に詩に記した中心的な差異の主題を、散文によってより細かく描写しようとする試みだといってもいいだろう。

 自伝作品のゆたかさのすべては細部に宿るものである以上、それらの作品を論じるためにはそうした差異の描写を具体的に見る必要がある。でも時間はかぎられている。ここではただ「言語」の例だけをあげておこう。ギャレットの場合もグスターボの場合も、著者の「異邦人性」の最大の標識として浮上するのは、まず言語だからだ。たぶん、われわれがアフリカのどこかでヒトとなり移住と分岐をはじめていくらも経たないうちからつねに、言語の差異は食物や身体的特徴の差異と並んで、ある人を「異人」として刻印する徴の、もっとも明瞭なものでありつづけた。そしてこの異人性は、あまりにもたやすく、他人 からの攻撃を誘発するものとなる。ホンゴーの場合、その言語はピジン、つまりハワイ・クレオール英語だった。

 ピジンは、つねにアメリカ標準英語との対決を強いられている。一家がアメリカ本土に移住するのにともなって、少年ギャレットは言語の転換を強いられる。まるで乗物を乗り換えるように、あるいは(より正確にいえば)一つの人生から別の人生へと転生するかのように。ホンゴーは『ヴォルケイノ』を、まさにこの言語の二分法を描くことから書きはじめている。子供だった自分にとって「自然」だと思われた言語が、沈黙を強制される場面だ。

 

 

 そういったあとで、「正しい」言語がもたらすにちがいない機会を信じる母親は、彼にこう命令する。「ピジンはだめよ!」言語のカヒコ、彼の母語は、この追憶の物語のはじめにおいて、まさに母親その人によって、禁止される。

 ペレス・フィルマにとっては、禁じられた言語はスペイン語だった。キューバ時代、彼の一家は他の家庭に比べてずっとアメリカ化された家庭だったそうだ。英語は必ずしも、まったくの未知の言語というわけではなかった。両親は長男の彼が生まれるまえに仕事でアメリカに住んでいたことがあり(父親はハバナの裕福な食料品卸業者だった)、母親は自分のことを完璧なアメリカ英語を話せるものと思いたがっていたという(もちろん、現実にはそうはいかなかった)。ところがマイアミに亡命してのち、父親は英語を拒絶するようになる。われわれは亡命者であって移民ではない、と考えるマイアミのキューバ人たちは、スペイン語を放棄する気などまったくない。かれらはただ故郷の首都ラ・アバーナ(ハバナ)をフロリダに再現しようとしたのであり、この転移において失われなくてはならないものは何もなかった。あるいは、何もない、と信じようとした。かれらは閉ざされた飛び地のようなリトル・ハバナを築き上げた。クリスマスが来るたびに、来年はキューバで祝いたいものだ、とお互いにいって乾杯するのだ。ところで、スペイン語に執着する親たちに対して、子供たちは避けがたくバイリングァルとなってゆく。けれども父親の名をうけついだ長男グスターボは、なんらかの心理的な動機のせいでか、この言語的移住を、完全にははたさない。十一歳のときにハバナからフェリーに乗ってキー・ウェストに着いたグスターボの英語には、成人した後にすら強いスペイン語訛りが残るのだ。ホンゴーのさきほどの一節に対応するのは、たとえば次のような部分だろう。

 

 

 しかしまた同時に、ペレス・フィルマは書き言葉としての英語に、ある力の源泉を見いだしてもいる。

 

 

 英語は書き言葉、記述の平面に、スペイン語は話し言葉、生身の演技の舞台に、属するわけだ。この役割分担によって、ペレス・フィルマは二つの言語の境界線と葛藤を内面化する。彼自身が、動く言語の戦場となるのだ。

 そんな英語に対する両価的感覚が、自分の立つ位置を問いつめようとする意志とからみあって、ペレス・フィルマの回想の出発点をなしている。そのもっとも基本的な問いは、「ぼくはどこでもっともぼくなのか? Where am I most me? 」というものだ。自分の出身地によっては自分は十分に定義されえないし、自分がどこにむかっているのかは、まだわからない。未来は霧の中。立ち止まることなく動き問われつつあるそんな私、どことも知れないどこかをめざして永遠に「あいだ」に置かれたそんな存在にとっては、そのときその場で動き声を出し語ることだけが、自分自身の輪郭を描きそれをみずから承認するための、唯一の手法となる。一世の親たちとはちがって、子供時代にキューバを脱出してきたせいで「一半」(ワン・ハーファー)と呼ばれる世代に属するグスターボにとっては、英語とスペイン語の両方にまたがる語呂合わせが、「あいだ」にいる自分を見いだし肯定するための、有効な解決策だった。

 

 

 自分は英語のI であり、同時にスペイン語の yo であり、自分が対象化して見る自分も同時に英語の youにしてスペイン語のtuであり、この二人はけっして消えることがない。ペレス・フィルマの文はこうした痛快な言葉遊びにみち、ピカレスクな感覚をつねに失わない。こんな跳ねまわる文をつむぐ運動的アイデンティティによって、二つの国、二つの言語の対立は、上演され、書かれ、同時に書き消されてゆく。

 けれども言語には限界がある。言語が崩れるときが、あるとき必ずやってくるのだ。『ヴォルケイノ』と『来年はキューバで』には、大変に興味深い、よく似た決定的瞬間がある。どちらの本でもその瞬間は終わりまぎわに訪れ、それはまるで回想の終わりを告げるための儀式のように見えてくる。二人の著者は、自分がどうしようもなく崩れ、抑えがたく泣き出す場面を、描かずにはいられない。涙はその他の体液とおなじく、言語を超えて人を直接にむすびつける。読者としては涙まみれの場面を書かずにはいられないかれらの心情をばかげていると笑ってすませることもできるが、かれらの涙との超えがたい距離を あくまでも保ちつつそこにある種の共感を覚えるのでなければ、たぶんあらゆるエグジログラフィの読書は、無意味なものに終わるだろう。

 ある日、ギャレットは、マウナ・ケアの野生動物観察基地に一週間滞在するために、ハワイ島東海岸の古くからの日系町、ヒロにおもむく。空港に着くと、彼を生んだ島のなまめかしい風、生命の風が、いっぱいに吹きつける。マウナ・ロアの紫の斜面が雲の中へと姿を消してゆくのを視線がたどるうちに

 

 

 『ヴォルケイノ』の全体をつうじて、家系の過去の探究と並んでホンゴーが強い関心をしめすのは、ハワイ島の自然史を学ぶことだ。自然史への関心が、そこでは人間の歴史を逃れる手段になっているともいえる。人の世に疲れたとき、海か青空か森か砂漠に癒される思いをすることがある人は、たくさんいるだろう。ホンゴーはこの土地との、土地に露出する地水火風との、肉体的接触によって、深くなぐさめられ、力を与えられた。ハワイ島への滞在で彼が出会った最大のものは、彼の(なかば想像的な)過去の軌跡よりもはるかに、現実の土地の、肉体をもった、圧倒的な現前ぶりだった。これもまた結局はエグゾティシズムかもしれない。けれども三世代にわたってどこにも所属することのなかった苛酷な歴史を経て、ホンゴーはついに、自分がどこにも所属しないという事実をうけいれる。どこにも所属しないながらに、いまこうして身をおく土地の崇高な美しい現前を、彼は見つめ、それを核として彼の「あきらめ」が、理解が、結晶する。彼は生まれた土地に帰った。そして、帰らなかった。その島の人の歴史を超えた肉体に出会うことで、人間の世界をまったくかえりみない冷厳な巨大さに直面することで、彼は「土地に所属する」という観念そのものから自由な、新たな自分の感覚を得た。この「回心」、つまり心の方向転換を、ホンゴーはかりそめの帰還と再生の物語として、かたってみせたのだった。

 ペレス・フィルマにとっては、涙は選挙の日にやってきた。彼はすでに一九七七年、アメリカ市民権をとり選挙権も得ていたが、選挙にいったことはなかった。一九九二年の大統領選挙に際して、アメリカ人の妻と彼は投票をめぐって激しい論争をする。でも結局、このときも彼は選挙にいかない。ついで、彼が住むノース・キャロライナ州チャペルヒルでの、市の選挙の日がやってきた。名門デューク大学でスペイン語とラテン・アメリカ文学を教える人気教授の彼は、このときまでにはチャペルヒルの町を「わが町」とみなすようになっていたし、投票とは「アメリカ人の父親としての義務」だとも考える。しかしいざ当日の朝になると、どうしても投票所にゆくことができないのだ。彼はまず腹を立て、ついで、すすり泣く。泣きながら、自分がこう口走るのを聞く。「父さんのことを思うと、こんな真似はできないんだよ。おれはアメリカ人じゃない。キューバ人だ。 [...] ここはおれの国じゃないし、ここがおれの国になることはけっしてない。」そして口に出したあとで自分自身すら驚くことになる、次の言葉。

 

 

 これはアメリカ人になりきれない「ワン・ハーファー」としての自分の存在の、強い再認だ。『来年はキューバで』の末尾に、彼はこう書いている。

 

 

 永遠に異邦に暮らすということ、終わりなきエグザイルとしての存在を、こうしてペレス・フィルマはありのままにうけいれる。新しい市民権はとったものの、彼はけっしてアメリカ人になってしまったわけではない。彼は過去にも未来にも、完全には所属できない。どんな一瞬をとっても、彼はその場で動揺している。そして逆説的にもこの動揺する自由、それぞれに土地のイメージを与えられた過去と未来のあいだに永遠に引き裂かれているという感覚によって、彼は絶えず更新されてゆく現在としての人生と、折り合いをつけるのだ。

 ホンゴーにとってもペレス・フィルマにとっても、一つの時、一つの場所に所属しないということが、家系の生き方によって与えられた宿命だった。この非所属の感覚は、かれらの生に強い不安をもたらした。けれども二人はその非所属をうけいれ、非所属を言葉によって包囲し、組み換え、それを肯定すべきばねのように使う途を見いだした。かれらにとってはこうして自分の生を語り、それを本に書くことが、生の質そのものを変化させる、積極的な手法となったのだった。

 最後に、こうして二人の詩人の自伝の一面を見たあとで、いっそう根底的ないくつかの疑問に立ち戻ってみたい。

 かれらの回想は、われわれ読者にとってどんな意味をもつのだろう?

 なぜわれわれは、亡命者や移民たちによるそうした自伝的作品を読むのだろう?

 そうした回想を読むことで自分の中にとりこんでしまった偽りの記憶をもって自分自身の日常に戻るとき、われわれは何をどうしようというのか?

 もちろん、ぼくはそうした問いに対して、ただ修辞的な存在でしかない「われわれ」に代わって答えることはできない。

 なぜ「私」はそれを読むのか?

 「私」はどのように、それを読むのか?

 しかしすべての「私」はつねに、すでに、なんらかの共同性にくみこまれている。すべての自伝は、同時に一種の集合的な作品である以外にないし、それを読む読者の側もけっして「一人」ではありえない。エグジログラフィの読書は、そこで二つの異質の共同性が出会い火花を散らす、戦いと和解の波にゆれる海面なのだ。このことは、強調しておく必要がある。

 ぼくの、とりあえずの答えは、こうだ。エグジログラフィを読むことによって、われわれは集合的に、ある新しいシヴィリティを探っているのだ、と。シヴィリティ。丁寧さ、礼節、市民性、公民性。それ自体ははかなく、いかにも頼りない言葉だ。ぼくがいおうとしているのは、ただ一つの、そうと決めてしまえば他の所属可能性を排除することになるような固い所属の仕方の、対極にあるものだ。このシヴィリティとは、ある国籍への所属を前提として語られる国際主義とは、異なっている。もちろん、今日の世界でわれわれは国籍をさっさと離脱するわけにはゆかないし、国家によってしばられあるいは守られ、国家単位の社会の中になんらかのかたちで住みこむという生き方を捨てることもできない。しかしそうした国家主義+国際主義の世界に重ね描きされた、突発的な出会いと葛藤の現実を、われわれの多くはいたるところで実際に生きている。かけ離れた異邦と異邦が衝突し、瞬時に連結され、また離れては紋様を刻々と変えてゆく、その悲惨とよろこびと苦痛と覚醒の交錯する現実の中に、自分という「個」において実現された「異邦」が具体的な顔をもって現れただれかという「個」において実現された別種で別の位相の「異邦」に対してどのようにふるまうべきかという、最低限の方法論が探られなくてはならない。その出発点は、ごく簡単に、あらゆる自文化は異文化にとって異文化なのだ、ということにつきるだろう。

 伝統的には、こうしたシヴィリティ(他人に対してそれが「正しい」とは断言できない「正しさ」をもって臨むこと)は、コスモポリタニズム(世界市民主義)と呼ばれてきた。けれどもコスモポリタニズムという用語は、すでにあまりに色褪せてしまった。それはきわめて堅固な「私」が、普遍的で惑星的で避けがたく抽象的な、一個の「都市」に所属すると主張する。その惑星的都市−−ぼくの呼び方でいえばエキュメノポリス−−を背後から支えているのは、いうまでもなく世界化した資本=物質=情報流通だ。コスモポリタニズムという用語を避けてぼくがそれを「新たなシヴィリティ」と呼ぶのは、それが個々 の一回かぎりの状況の中で、その場で、異邦人どうしの交渉の中で、探られなくてはならないからだ。

 それをホスピタリティの原則といってもいい。人をうけいれること、手をさしのべること、手を貸すことといった、大昔からそう口にすることすらなく行う人は行ってきた何かは、現代の世界で、いよいよ大きな可能性と重大な責務をもつ。そうした原則の発芽を人の中に育てるのは、異質の隣人たちの生きてきた過去をうかがうこと以外にはない。エグジログラフィの批評は、翻訳は、そんなまなざしを手に入れるための基礎作業だ。

 ぼく自身の場所に帰ろう。エグジログラフィの翻訳者としてのぼくの作業に意味を求めるとしたら、それは異質なさまざまな声を「自国語」の中に反響させ、声の担い手たちの生の軌跡を、ある新しいシヴィリティのための、テクスチュアルな基礎へと織り上げてゆくこと以外にはない。このテクスチュアルな土台にふれるためには、だれもが自分の伝記や国家的・民族的おいたちの枠からわずかに踏みだして、その踏みだした素足に思い切って体重をかけてみなくてはならない。その土台がきみを支えてくれるという保証は、まるでない。けれどもその危険な賭けによってはじめて、われわれは集合的に、「何一つ共有 しない者たちの共同体」(アルフォンソ・リンギス)のための、いままさに出現しつつある倫理を探ることができるのだ。

Garrett Hongo, Volcano: A Memoir of Hawai'i. Knopf, 1995.
Gustavo Perez Firmat, Next Year in Cuba: A Cubano's Coming-of-Age in America. Doubleday, 1995.

 

  

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