コヨーテ読書の目次へ戻る

 

管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 6
花/野/世(フラワー・ウィルダネス・ワールド)
アイズリー、スナイダー、ヤキ族にとっての花 その2


 アメリカ南西部、ソノラ砂漠。この高原砂漠の一角の盆地にオアシスのように存在する瀟洒な町が、トゥーソンだ。市内を縦貫するインターステイト10号線とグラント・ロードの立体交差を少し離れたところに、ごく普通の小さな家が立ち並ぶブロックがある。誰かにそうと教えられるまで、そのブロックの奇妙さに気がつく人はほとんどいないだろう。だが一度、気がついてしまえば、その奇妙さは頭から離れなくなる。

 ここではすべての家が、小さな庭をもっている。庭といってもアメリカの住宅に典型的な、緑の芝生一色のそれでも、あるいはこの地方に特有の、サボテンや砂漠の植物だけをアレンジした赤茶けた枯れ庭でもない。このブロックでは−−レスリー・マーモン・シルコの言葉を借りるなら−−「トウモロコシと豆、メロン、薔薇、センナ、ひまわりが、いっしょに育っている。芝生はない」。ここは都市に埋めこまれたプエブロ(スペイン語で「村」のこと)、パスクア・ビエホすなわち「古いパスクア」と呼ばれる、ヤキ族の集落なのだ。トゥーソンを出て郊外を西にむかい、より大規模な新パスクア(パスクア・ヌエボ)の村にゆけば、このパターンはよりはっきり見えるものとなる。ヤキの人々は植物とのあいだに特別に親密な関係をむすんでいて、その関係がかれらの庭作りに反映されているのだ。そこには、かれら自身の宗教的理由がある。

 ヤキは、元来アリゾナの人々ではない。かれらのここ数百年の父祖の地は、さらに南、国境を越えたメキシコはソノラ州の、リオ・ヤキ(ヤキ川)沿いの渓谷だった。メキシコが近代国家として成長する十九世紀から二十世紀初頭にかけて、中央政府は各地の先住民に対する弾圧を強め、「メキシコ共和国」への同化を拒む人々は、執拗な迫害に対してゲリラ戦を組織して抵抗してきた。なかでももっとも頑なに抵抗した部族のひとつが、このヤキだった。抵抗すればするほど、迫害も熾烈さを増す。かれらは伝来の土地からの立ち退きを強制され、流浪の生活がはじまる。

 一九〇八年までには、少なくとも五千人の男女が、ユカタン半島のサイザル麻プランテーションに、小作人として売られていった(といってもいったい誰が、その代金を受けとったのだろうか?)。子供たちはメキシコ人家庭に使用人としておかれ、そのままメキシコ人として育てられた。おそらく四千人ほどが、国境を越えてアリゾナ、カリフォルニア、ニュー・メキシコの各州に逃げこみ、残りの者はソノラ州各地に離散していったという。この流浪の歴史をつうじて、かれらは自分たち独自の世界観と信仰を維持し、そこでは「花」が中心的な象徴としての役割をはたした。このことは、かれらの伝統的な「鹿踊りの歌」、そしてイースター(キリスト復活祭)の儀礼に、明らかに見られる(「パスクア」というかれらの名は、スペイン語で「復活祭」を意味する。キリスト教化されて以降のこの二百年あるいは三百年、かれらにとっての一年の中心に位置するのがこの祭儀だったことがうかがえる)。

 ヤキの宗教は、スペイン人到来以前の「土地の人々」の信仰に、キリスト教が混淆したものだ。一世紀近い流浪の生活の後にも、今日でもかれらの宗教生活はきわめて強い感情に裏打ちされ、一貫性がある。村の家々はどこも年間の祭りのカレンダーの中ではたす役割をもつ。なかでも最大の祭りが、復活祭の祝いだ。たとえば村の少年たちのある者は、ファリセオ(パリサイ人)のグループに参加する。かれらは復活祭の期間、イエスの迫害者を演じる。ある者は鹿踊りの踊り手に加わる。この踊りの練習は年間をつうじておこなわれ、その練習自体に一種の宗教的な献身としての意味がある。復活祭の儀礼では、イエスの復活劇というキリスト教的パフォーマンスと鹿踊りという「土着の」パフォーマンスが、平行して演じられる。この共存ぶりが、ヤキの村の精神生活に独特の色彩を与える、大きな特徴だといっていいだろう。

 村の中心は広場であり、その西のはずれに教会がある。対する東の端には、巨大な十字架が立てられる。教会は装飾され、そこでいろいろな行事がおこなわれる。入口の脇では音楽が奏でられている。ギター二本、フィドル、バホ・セスト(六弦のベース・ギター)からなるバンドが、反復の多いインストゥルメンタルの曲を延々と演奏する。これと同時平行で、広場の北東の端にあるラマダ(あずまや)では、伝統的な歌にともなわれた鹿踊りが、老人から子供まで全員男の踊り手たちによって絶えまなく踊られる。歌はヤキ語だが、ときおりスペイン語からの借用語が聞こえる。上半身裸の男たちは目隠しをして、頭に鹿の頭を載せ、ユーモラスな動きで野生の獣をその場に現前させる。この間も、広場の両側には仮設の店が立ち並び、スナックやお菓子や飲み物を売っていて、人々はぶらぶらと鹿踊りから音楽、教会へのお参り、知人との談笑などのあいだを移り歩いてすごす。この祭りのためには、ふだんは遠くで暮らしている者たちもできるかぎり帰ってくる。これがかれらの正月なのだ。鹿踊りの秘儀と教会の行事は互いに独立し、どちらも単独でその場を完全に支配してしまうことはなく、合わせてはじめて、ヤキの信仰とその祝いの全体をなしている。

 ヤキの神話には、明確なトポロジカルな布陣がある。何よりも大切なのは「フヤ・アニア」、つまり「野」、野生の領域だ。これは最初の、「本物の」ヤキが住んでいた場所だとされ、それがさすのはかれらの現在の居住地から見ると山々のむこうに位置する、広大な高原砂漠そのものだ。それは現実の、人が住まない砂漠であり、同時にかれらの伝説的起源の場所なのだ。スペイン語では、ヤキはそれを「モンテ」、つまりただ「山」と呼ぶ(亡命以後のヤキはヤキ語・スペイン語・英語の三言語併用が基本だ)。現実のマテリアルな砂漠に、その神話的空間が重ね描きされている。かれらの心の時間軸では、フヤ・アニアはカトリック信仰が到来する以前の絶対的な過去、あるいは計測可能な時間の剥落した非歴史的・神話的な「刻」(とき)に属している。それこそかれらの故郷、同時に想像的でもあれば現実的でもあるふるさとなのだ。

 ついで、「セア・アニア」(あるいはセワ・アニア)がある。直訳すれば「花の世」。それは方角でいえば東、夜明けの下に位置し、そこには自然界のあらゆる美が完璧に映しだされているのだという。この場所は花々と水と、自然がもたらすすべての恵みにみちている。そこには、ソノラ砂漠で見られるあらゆる昆虫や鳥や動物それぞれのプロトタイプともいえる、「原初のそれ」が住んでいる。たとえばハチドリならすべてのハチドリの祖先である原初の一羽のハチドリが、ジャックラビットならすべてのジャックラビットの祖先である神話的な一匹のそれが、住んでいるということだろう(したがってセア・アニアとは、あるいはオーストラリア先住民のいう、英語では「ドリームタイム」と訳されている概念に比べられるものなのかもしれない。ドリームタイムとは、年代軸を超えた、ある神話的な創設の「刻」のことだ。それははるかな昔というより、むしろつねに「いまここ」にある)。セア・アニアに住むこれらのプロトタイプ的動物たちのうち、もっとも偉大なのが「マリチ」あるいは「サイラ・マソ」と呼ばれる、鹿だ。ヤキの鹿踊りは、この神話の鹿、始源の獣を讃え、それと連想でむすばれる野のすべてを讃えて、舞われるものなのだ。

 フヤ・アニアとセア・アニアの関係は必ずしもはっきりしないが、このように考えてもいいかもしれない。フヤ・アニアは時間的にはヨーロッパ人到来以前の絶対的な過去に属し、空間的には手つかずで無垢の、野生の砂漠に属する(方位の限定はない)。これに対して理想化された世界としてのセア・アニアは空間的には絶対に到達できない東に位置し、時間的には日々反復される「明日」にある。夜明けがくるたび、それはたしかに東に来ているのだが、その東に自分たちが追いつくことはない。いいかえれば、フヤ・アニアにとって、楽園を追放され流浪する自分たちは絶対的に遅れている。セア・アニアにとっても遅れているが、セア・アニアは夜明けがくるたびにその実在をわれわれに教え、しめしてくれる。フヤ・アニアが郷愁の色に染まった懐古のトポスだとすれば、セア・アニアは日々の希望を光と空の色の変化によって告げてくれる期待のトポスなのだ。

 鹿踊りの歌はたくさんあり、歌い手それぞれによってもちがった歌詞をもつ。アリゾナ大学の英文学者ラリー・エヴァースとヤキの青年フェリペ・モリーナによって収録された歌のひとつは、このようなものだ。フヤ・アニワ(フヤ・アニアの古い語形)がくりかえされ、「野」が讃えられていることがわかる。

 

 Empo sewa yo huya aniwa
  empo yo huya aniwa
   vaewa sola voyoka
 Empo yo huya aniwa
  vaewa sola voyoka
   huya aniwa

 Ayamansu seyewailo
  huyata naisukunisu
   yo huya aniwapo
    usyol machi hekamake
     usyolisi vaewa sola voyoka
      huya aniwa
 Empo yo huya aniwa
  vaewa sola voyoka
   huya aniwa

     

 おまえは歌われた花の野生の邦(フラワー・ウィルダネス・ワールド)、
  おまえは歌われた花の野生の邦、
   おまえはくっきりと見透かせる新鮮さをもって横たわる。
 おまえは歌われた野生の邦、
  おまえはくっきりと見透かせる新鮮さをもって横たわる、
   野生の邦。

 あそこ、花におおわれた野生の
  邦のまんなかに、
   歌われた野生の邦がある、
    夜明けの風とともに美しく、
     美しくおまえはくっきりと見透かせる新鮮さをもって横たわる、
      野生の邦。
 おまえは歌われた野生の邦、
  おまえはくっきりと見透かせる新鮮さをもって横たわる、
   野生の邦。

 

 英訳にしたがって訳すと、こうなる。英訳者たちが enchanted(魔法にかけられた、うっとりさせられた)と呼ぶその領域は、まさにその英単語の原義どおり、「歌われる」ことによってその魔法と魅力と美しさをとり戻す一帯なのだと考えていいだろう。もともとふしぎな力がみなぎったある「場所」が、歌われ祈られることによってありありと想起されさらにその力を増す。フラワー・ウィルダネス・ワールドとは、豊穣と美の領域であり、そこから、人の生活のための大いなる贈り物が到来する。

 ところでヤキ族の「花」にまつわる概念として非常におもしろいものが、もうひとつある。「セアタカ」、すなわち「花の身体」だ。それはある人々にそなわる特別な力で、それがあれば物事がうまくゆくのだという。よい狩猟がおこなえるのも、よい歌をうたえるのも、セアタカがあるからだ。あるときには、セアタカは予言や透視(千里眼)の能力ともなる。またあるいは、同時に異なった場所にいるという、分身の能力ともなる。フェリペ・モリーナの言葉にしたがえば「主たる肉体のほうは家にいたり仕事をしたりしているあいだに、セアタカを内にもつ肉体の映像(うつし)が旅してまわる」のだという。花の身体とは、目に見えるものであろうと見えないものであろうと、よい力をもつ、不可思議な、人を護ってくれる身体なのだ。

 こうして見ると、ヤキの人々にとって「花」(セワン)とは、すべての「良きもの、荒きもの、聖なるもの」(ゲイリー・スナイダーのいう"good, wild, sacred")を表しているようだ。復活祭の期間中は、花のシンボリズムが時空を統括する。キリストの血は花で表される。鹿踊りの踊り手が頭につける鹿の首と飾りは「花」と呼ばれる。チャペイカ(道化)の仮面も、やはり「花」だ。キリスト復活に先立つ四旬節のあいだ、マタチニ(プエブロ・インディアンなどにも見られるイベリア半島起源の踊りの踊り手)たちはけっして踊らず、その状態を「花は閉ざされている」という。復活祭の儀礼がその絶頂に達するのは土曜日の正午すぎに教会前の広場でおこなわれる「グロリア」だが、これは神の軍団と悪魔の軍団の戦闘というかたちをとっている。色紙をこまかく切ったコンフェッティが盛大に投げられるが、これはキリストの血が転じた花であるとされ、ラテン語で歌われるグロリアの歌と並んで、これが教会の軍勢の唯一かつ無敵の武器なのだ。

 そしてこのように「花」に価値をおくという姿勢そのものは、ヤキの人々がキリスト教以前の日々から保ちつづけてきたものだと考えてよさそうだ。ヤキの言語はかつてのアステカの言語と同系統に属する。パスクアの村を数十年にわたって見てきたミュリエル・ペインターは、ミゲル・レオン=ポルティーヤのアステカ思想論を参照しながら、ヤキがいう「花」とはアステカの言語ナワトル語での「花」の概念に近い、と述べている。ナワトル哲学では、究極の真理−−「地上での唯一の真理」−−を探し求めた賢者たちは、それを理解する道は「詩」による以外にはない、と結論する。詩こそが「本当の内なる経験の果実であり、直観の結果であり」、究極の真理は詩の言葉の中に顕れる。そして「詩」のシンボルとなるのは、歌と花々だというのだ。真理とは何か。それはある集約したかたちで表現される、濃密に定式化された「言葉」のことだ。ちょうど野生の生産力が「花」として美しく集約され現前するように、世界と生命そのものの力が、ある抽象化の作業を経て、まるで空間を切り裂くようなかたちとして、その場に突出する。歌の歌詞ももちろん詩だが、究極の真理としての「詩」はそれよりもさらにひとつ上の水準にあるものと考えられていることはまちがいない。つまり

 その歌はどういうことなのか。

 その花はどういうことなのか。

 そうした問いに対する答えの領域が、かれらにとっての真理の場所なのではないだろうか。この砂漠のどこかに、花と歌を生むマトリックスがある。どこかに、あるいは、いたるところに。良きもの、荒きもの、聖なるものを讃えて、ヤキの人々は歌い、踊る。歌と踊りがかれらの祈りの形式であり、それにより土地はくりかえしくりかえしサクラメント化され、同時に人々はくりかえしくりかえし、土地に対してみずからをむすびなおしてゆく。

 このヤキの「花の野生の邦」という概念に関してもっとも注目すべきことは、それがマテリアルな現実と神話的地理学との、いわば二重映しとして構想されているという点ではないかと、ぼくは思う。「フヤ・アニア」と「セア・アニア」はいずれもかれらの宇宙論の中で着想され、現実にかれらをとりまく砂漠の中に知覚されている。この点から見ると、トゥーソンはヤキの人々にとって理想的な地勢をもつ土地だといえる。山々の存在(「フヤ・アニア」がスペイン語では「モンテ」つまり山と訳されていたことを思いだそう)、そしてサワロ国立公園からオルガンパイプ・カクタス国定記念物(いずれもこの地方特有の巨大なサボテンの名からとられている)にいたるゆたかで広大な手つかずの砂漠の存在は、ヤキにとっては、かれらの神話が真実でいまもたしかに生きていることを、日々実感させてくれるのだ。土地そのものが、巨大なマンダラをなしているといってもいい。世界観の結節点が、目に見え必要とあればそこにゆける具体的な場所として、存在する。土地の現実のフローラ(植物相)、ひとつひとつの茂みや一本一本の樹木が、かれらの神話宇宙に入ってゆくための知覚の扉となっているのだ。

 そしてこのような現実と神話の密着した二重性は、おそらく「詩」の基本的な構造そのものに関わるといっていい。「詩の危機」の中のよく知られた一節で、マラルメはこのように書いていた。

 

 

 これはようするに、ひまわりや百合や薔薇といった具体的な花、思い浮かべることのできるかたちをもち場合によっては花束にすることもできるそれらとはまったく別の、観念としての「花」そのものが、忘却の可能性すらない未知の領域(というより絶対に知ることのない認識の余白とでもいうべき場)において、ただ "une fleur"という言葉の「音」としてのみ、たしかに立ち上がるということだろう。そしてこのような「花」の領域は、人が言葉を使うかぎりはどのような文化のどのような部族にとっても、無縁ではない。

 たとえばどのような種類であってもいいがある現実の花の前で「花」という言葉をつぶやく。するとその単語の音楽と花という観念が、同時にその場に現れる。このとき、この観念の花は自分の目の前にある花に必ずいくぶんかはとって代わり、人を目の前にある具体的な花そのものから奇妙に遠ざけることになる。視覚と嗅覚の領域から、目の前の花のいくらかが目に見えない音の領域へと送りこまれてゆく。そう思うと、花々を讃えて歌われる歌は、まさに現実の花を絶えず犠牲にしてゆくわけだ。土地に咲く現実の花は、歌の力によって、夜明けの下にある完璧な美の邦、プロトタイプの鹿が平和に眠り水がつきることなくあふれる観念の邦へと、遠く送り届けられる。

 「野」を讃えて歌うこと自体が、この聖性の空間を開くのだ。現前する砂漠を見て、不在の花を思う。この構造には、よく注意しておく必要があるだろう。生きるために、われわれは「不殺生」という第一の戒律を破り、他の生物を殺さなくてはならなかった。この殺しの記憶をしずめるために、われわれは歌い、祈った。詩とは祈りにほかならなかった。けれども言語を使用するということは、それ自体が別のかたちでの「殺し」なのだ。鹿踊りでは花が歌われ、歌われることによって供物とされ、原初の鹿と自然力の領域を讃えるものとされる。詩は殺しから生まれ、それ自体が現前するたびごとに、殺しを反復する。言語の儀礼的使用としての詩は、われわれは生きるために殺さなくてはならないということを、絶えず思いださせてくれるものなのだ。ゲイリー・スナイダーが土地のサクラメント化について語るとき、彼は詩(ひいては表象一般)に潜む、この「犠牲」の劇的構造にふれているのだといっていいだろう。

 詩とは、殺しだった。だが同時に、ヤキの復活祭−−そのキリスト教的側面でもネイティヴ的側面でも−−で明らかに見られるとおり、殺しそのものが再生を願う人々の祈りなのだった。祭りとは、そこで上演される歌や踊りとともに、「花」そのもののサイクルの模倣なのだ。花は歌われるとき、死と生の秘儀の言語へと昇華される。歌うことによって、ある「人々」の連続性と、「野の世」におけるかれらの位置が、思いだされ、改めて強く記銘される。ごくわずかな人口での流浪生活にもその伝統を失わないヤキの人々は、「詩」の存在が与えるアステカ以来のこの英知を、よく心得、それを生きていた。

Loren Eiseley, The Star Thrower, Harcourt Brace, 1978.
Gary Snyder, The Practice of the Wild, North Point Press, 1990.
Gary Snyder, A Place in Space, Counterpoint, 1995.
Leslie Marmon Silko, Yellow Woman and a Beauty of the Spirit, Simon & Schuster, 1996.
Larry Evers and Felipe S. Molina, Yaqui Deer Songs/Maso Bwikam, The University of Arizona Press, 1990.
Muriel Thayer Painter, With Good Heart: Yaqui Beliefs and Ceremonies in Pascua Village, The University of Arizona Press, 1986.

 

  

コヨーテ読書の目次へ戻る


Back to top page

copyright 1998 SUGA Keijiro

Contact with Cafe Creole ( counter@cafecreole.net )