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管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 7
エボニックスの水際


  as trees repeat her
  darkening English.
             Derek Walcott

 十六年前、と書くとあまりの時の流れに思わず青ざめるが、ぼくはアラバマ州の小さな町にある小さな州立大学の学生だった。木材の出荷地として十九世紀に開けた町で、切り開かれた森のあとは棉花の畑やピーカン・ナッツの林となって、いかにも肥沃そうな黒々とした土を南部の太陽にまぶしく光らせていた。学生の半分は黒人で、半分は白人だった。ぼくらは寮に住み、三食を体育館のように大きな大学の食堂で食べた。ここでおもしろかったのは、見かけ上の平等が保たれていても、それぞれのテーブルははっきりと肌の色によって分割されたということだ。黒人学生と白人学生は、もちろん話をする。立ち話をして冗談だっていいあうし、ひさしぶりに出会えば握手もする。トレーをもって列を作り、自分の好きなもの−−あるいはより少なく嫌いなもの−−を黒人のおばさんからお皿によそってもらうあいだは、ごくふつうに入り交じっている。ところがなぜか、実際にテーブルにつき食べはじめるときになると、テーブルははっきり、黒人のテーブルと白人のテーブルに分かれてしまうのだ。別に険悪な雰囲気になるわけではない。ただ、ごく自然に、分離されてゆく。その「自然さ」は、見ていて憂鬱になるほどだ。そしてエボニーズとアイヴォリーズの両党派のいずれにも属さないぼくら黄色い肌の「中国人」たちは、ひとりのときにはどちらの側のテーブルについてもよかったし、五、六人(つまりほぼ全員)がそろったときには自分たちだけでテーブルを囲んだ。この肌の分布のようすを定点観測して一年間の記録をつけたなら、きっと興味深い、でも完全に予想のつく、結果が生まれたことだろう。

 誰もが「サザン・ドロール」で話していた。曖昧に溶けたような甘い母音を、ゆったりとした口調でひきずりながら鼻声でしゃべる。二人称の「ユー」に単数複数の区別が存在する (単数はふつうのyou で複数はy'all)。それが南部訛りで、そうしたアクセントはそれまでに聞いたことがなかった。もちろん教師は半数は北部出身だし、南部出身でも標準化されたメディア的アクセントで話す人が多かったから、話がわからないということはない。しかし学生や町のおじさんおばさんには−−白人と黒人とを問わず−−何をいっているのか実にわからない人がいた。仕方がないので、こちらも曖昧な顔で、むにゃむにゃと相槌を打ってごまかすことばかりが上達した。もちろんあらゆる言葉は、慣れれば必ずわかるようになる。人間は誰でもどんなことばでも覚えることができる。わからないのは十分に慣れるところまでゆかないためと、一種の反射神経の問題であり、どちらも自分で克服するしかなかった。これについては、残念ながら、いまもまだあまり進歩がない。

 その日は、ぼくは「白い」テーブルについていた。同席したブロンドの地元の女の子が、サザン・ドロールの起源について話してくれた。この地方は湿潤温暖で湖沼が多く、もともと黄熱病が風土病だった。これにかかると、たとえ治っても顎が弱くなり、顎をだらりと落としたままだらしなくしゃべるようになる。それで私たちが話しているようなアクセントが生まれたのだ、という。とても信じられる話ではないが、彼女は真顔でそういった。本気なのか冗談なのかを決めかねていると、ここでは珍しいニューヨーク州北部出身の男の学生が、「はじめてアラバマに来たとき、白人がみんな黒人みたいなしゃべり方をするからびっくりした」と、冗談めかした口調でいった。こちらには何となくうなずけるものがあった。南部白人方言としてのサザン・ドロールと、アフリカ系アメリカ人たちの言葉には、明らかによく似た響きが感じられる。アメリカ南部のプランテーション文化では、「階級」とそれに奉仕する「血」の分割をうけつつも、かれらはつねに隣合わせに生きてきた。人々が隣合わせに生きて日々の交渉をもつとき、言葉が相互に入り交じらないということはない。そして南部プランテーション文化は「大陸」の「南部」である以上に「カリブ海」の「沿岸」のものであり、そこにはたしかな連続性があった。アメリカ黒人英語とはカリブ海クレオール英語連続体の一端に属し、サザン・ドロールはプランテーションにおける階級と人種の境界面で育った言葉だ。あるいはこれと平行した観点から音楽に目をむけるなら、ミシシッピ河口地帯で生まれたブルーズはカリブ海音楽の一ジャンルであるとともに、ここアラバマ出身のハンク・ウィリアムズたちが歌いはじめたカントリーはそのブルーズとの接触の境界面で育った白人たちの側からの返歌だったといえるだろう。「アメリカにゆく」という以上のイメージは何ももたずに暮らしはじめたアラバマで、ぼくはアメリカという大陸国家内部での「北」と「南」の分割を知らされ、その「南」の背後にひろがる母胎としての「カリブ海」の存在に気づいた。そのカリブ海のさらに彼方には、想像もつかない幻のアフリカが、朝焼けの新鮮さをもって眠っていた。

 「エボニックス」という名称が一般に知られるようになったのは、ちょうど一年ほど前のことだ。カリフォルニアでの論争が、そのきっかけだった。エボニーの言葉、アメリカ黒人英語。この単語自体、苦心の作ではあると思うが、その苦さは隠せない。カリブ海では、かつて商品としての黒人奴隷のことを「黒檀」と呼んだ。一昔まえ、超大物歌手二人がデュエットで「黒檀と象牙、完璧な調和をもってしっくりくるよ」とうたう歌があったが、アフリカからの高価な輸出品二品目に二つの「人種」を象徴させるのはレトリックとしてもむりがあると、ぼくは思った。しかしいつのまにかその商品としての意味は脱色され、ただその「色」をしたつややかで美しいものの代名詞として、「エボニー」が使われるようになっていた。

 その「エボニックス論争」とは、いったいどういうものだったのか。オークランドの教育委員会が、アメリカ黒人英語(エボニックス)とはひとつの自律的言語であり、教室での英語教育の補助手段としてエボニックスを使用してもいい(たとえば中南米系の移民の子にスペイン語を補助的に使って英語を教えるように)という決定を下した。ここには、二つの争点がある。まず、エボニックスははたして本当にひとつの「言語」と呼べるのか。ついで、それを「学校」という場にもちこむのは妥当なのか。

 ただちに結論を述べるなら、まずエボニックスが、相当な数の話者をもつ、安定したひとつの言語だという点は認めなくてはならない。それはだらしなく「崩れた言語」ではなく、一過性のスラングでもなく、独自の文法規則をもち、アメリカのすべての地域の黒人コミュニティで使われている。ミドルクラス以上の黒人家庭が、社会的威信の問題として「標準英語」を採用しがちなのは、「白」がすべてを支配するこの国の経済体制の力学からいって避けがたいことだろう。その裏面として、黒人労働者階級の家庭、特にその青少年が、自分たちの言葉としてのエボニックスにこだわりそれを話しつづけるのも、また当然だ。こうした社会的な心理は、二つあるいはそれ以上の言語が社会階級の分割を反映したものであるとき、どこにいってもおなじメカニズムに立って動く(チカーノ少年ギャングたちのパチューコ言葉の使用もそうだろう)。

 ついで、それを「学校」で使うとはどういうことか。「標準英語」があくまでも社会的通貨として日々の交渉を支配している以上、それを身につけなければ人ははじめから不利な地点に立つことになる。これはあらゆる移民の状況とおなじだ。エボニックスを使用するアフリカ系アメリカ人は(これもチカーノ詩人のジミ・サンティアゴ・バカが使った表現を借りるなら)「われらが土地における移民」であることを強いられ、いまもそのひとつひとつの肉体を個別の植民地とされている。しかし教育委員会の決定は、エボニックスをもって標準英語に代えようというものではなかった。エボニックスと標準英語をきちんと対照させることにより、標準英語の読み書き能力を向上させようというのが、その目標なのだ。これはもちろん、私的空間における言語と社会経済的空間における言語、家の言葉と外の言葉の二重化を、温存するどころか強化することにつながる。だがあくまでも実利的問題として、標準英語を身につけることはどうしても必要だ。物質的生活のために、それは必要なのだ。

 つまりここで試みられているのはひとつの壁の創設であり、逆説的にもその壁によってすでに存在する境界をはっきりと意識化し、意識化によってある実践的操作を覚え、ある自由、ある力を手に入れようとすることだった。「社会」がそれを要請するなら、「かれら」の言葉を話そう。生きるために。それも仕方がない。だが、「われわれ」の言葉にはそれ自身の規則があり、その言葉でなければ語れないことがある。それまで譲歩し手放す気にはならないのも、当然だ。人はいつだって自分のスタイルを(文体を、話法を)選ぶ権利がある。そこから先は矜持の問題であり、生活の色彩の問題だ。
 それではエボニックスとは、具体的にいって、どんな言葉なのか。言語学者のジョン・リックフォードがあげている例を見ることにしよう(John R. Rickford, "Suite for Ebony and Phonics," in Discover, December 1997)。

 エボニックスには五つの現在時制がある。
 1. He runnin.
 2. He be runnin.
 3. He be steady runnin.
 4. He bin runnin.
 5. He BIN runnin. (BINは強調)

 リックフォードはこれを以下のように標準英語に翻訳している。
 1. He is running.
 2. He is usually running.
 3. He is usually running in an intensive, sustained manner.
 4. He has been running.
 5. He has been running for a long time and still is.

 つまり、(1)彼は走っている。(2)彼は(習慣として)いつも走っているよ。(3)彼は(習慣として)いつも(猛烈に)走っているよ。(4)彼はずっと(持続的に)走っている。(5)彼はずっと(持続的に、長い時間)走ってきて、おやまあ、まだ走ってるんだねえ、といったところだろうか。

 こうした時制表現は、他のクレオール英語との類縁を感じさせるものだ。多くのクレオール言語において、接尾語による時制変化や、複数形や、所有格は、存在しない。リックフォードは自分のフィールド調査で得られた、サウス・キャロライナ州沿岸部の島々の黒人コミュニティの言語ガラ(明らかにカリブ海クレオール英語連続体に属する)の、いくつかの文例をあげている。

 1. E.M. run an gone to Suzie house. ("E.M. went running to Suzie's house.")
 2. But I does go to see people when they sick. ("But I usually go to see people when they are sick.")
 3. De mill bin to Bluffton dem time. ("The mill was in Bluffton in those days.")

 (1)では run and goneのgoneが「過去」をしめしていること、(2)では強調のdoesが「習慣」を表していること、(3)ではbinが「状態の持続」、toが「場所」、demが「複数」の標識であることが、わかると思う。

 すばらしいカラフルさ。この言葉は海の色をし、島の香りを宿し、葉陰の光をきらめかせている。写しとられた文字という言葉の影にすら、すでに大きな魅力が約束されているようだ。結局ある人は言葉に関心をいだき、ある人はまるでいだかないのだから、きみがこうした文に強烈な魅惑を感じないとしても、ぼくには何もいうことはない。けれども言葉がこうして変型をこうむってゆく運動的過程、新しい言い回しや語彙の発明、借用、言語的盗み、発見、覚醒、不透明さとの衝突、いらだち、交渉、その彼方にひろがる新しい友情の可能性といったことに、ぼくはずっと(持続的に、長い時間)興味をもってきたし、おやまあ、いまもまだ興味をもっている。

 言葉は生きていて、はてしなく広大で、知れば知るだけ知らないことがふえる、そういったものだ。「エボニックス」という名を呼んだだけで、チャールズ・チェスナットからイシュマエル・リードにいたるアフリカ系アメリカ作家たちの作品も、ブルーズやラップの過激な歌詞も、たちどころに集まってくる。ただちに新しい、ゆたかな生産力をもった海がひろがる。そしてその海には、すべての装備を捨ててまずいきなり飛びこまないかぎり、ぼくらはいつになっても泳ぎを覚えることはできなかった。

 

  

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