管 啓次郎 コ ヨ ー テ・歩・き・読・み・ 
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コヨーテ歩き読み4
西江雅之「西江流ぶらり旅in那覇」
(「旅」1999年3月号)

 

 あ、先生! なんとまあ、おなつかしい。こんなところでお目にかかるなんて、思 っても見ませんでした。もう何年になるかな、前にひょっこりお会いしたのは。あの ときは日本橋の丸善の洋書売場で、フランス語の文学書を眺めていらっしゃいました ね。これから京都に行くんですよ、とおっしゃって。こんどは那覇の市場とは。でも 、お元気そうですね。ずいぶん髪が白くなられましたね。そういうぼくも、ごらんの とおり、いつのまにか胡麻塩です。学部時代に先生の授業を毎週楽しみにしていた、 あのころの先生の年齢を、いつのまにか追い越してしまいました。でも旅した距離も 、訪れた土地も、覚えた言葉や忘れた言葉も、出会ったり別れたりした人々の数も、 あのころの先生のそれらとはぜんぜん比べものにならなくて。うなだれる不肖の弟子 。先生に追いつくことは永遠になさそうです。

 那覇に着いて宿にむかい、そこでとりあえず「沖縄だ」、とひとり呟く(この「、 」の位置が独特ですね)。それから開け放たれた窓の外を見てもう一度「沖縄だ」と 呟き、すぐに街に飛びだす。人ごみに紛れこむ。国際通りを歩きながら、「はくきき よら」で「しらくちや」で「めまよきよら」で「よよきよら」な沖縄美人のことを思 う。土地の娘たちも、まず言語の存在になる。ここに先生の「語学者根性」とでもい ったものを感じて、ぼくはうれしくなりました。女たちの美しさも、ただちに言語の コーティングを与えられる。それで魅力が減ずるわけではないし、現実の彼女らから 遠ざかってしまうわけでもない。むしろ、言語と、言語が与える知識によって、土地 も人々もいっそう光り、輝く。言語なくして人間に本当の経験はないこと、言語を介 在させることで人は人を本当に発見できること、そのからくりをよく自覚することが 人間の「品位」につながるのだということ。「語学者」としての先生の姿から、ざっ とそんなことごとをぼくは学んだような気がします。

 そして、古本屋。「世界中どこに行っても、わたしの旅は本屋歩きから始まる。那 覇の古本屋は夜遅くまで開いている。各々の店内には沖縄関係の書物専用の棚が必ず 備えてあり、わたしは数軒の店の棚を一通り確かめないと気がすまない。旅先の本屋 で、その土地に関する本を見ると、タイトルからだけでも想像が膨らむが、さらにそ の中身を覗き読みすれば、実際の旅と本の中での時空を超えた旅という二重の旅を、 活字や写真を通して楽しめる。」先生、あいかわらず、通りがかればすべての書店に 立ち寄られるんですね。自分に直接関心のある分野以外でも、とにかく一軒の書店の 棚の全体を眺める。そういえばこれも、先生の教えのひとつでした。

 「世界の言語」という先生の授業でピジン・クレオール言語のことを教わったのは 、もう二十年前になります。それがきっかけで混血地帯に興味をもち、「クレオール 主義」という言葉を思いつき、ブラジルやハワイで暮らしたり、カリブ海に旅したり することになりました。どこに行っても、ぼくも自分の足でよく歩くことを心がけて きました。その間、ときどきぼんやり思いだしたのが、先生の後ろ姿です。学生たち に「じゃ、さよなら」と声をかけた後、使い古した肩掛けかばんをかばうように片手 でおさえ、猛烈なスピードで雑踏を歩み去ってゆく。見ればたしかに歩いているのに 、マサイ族をも驚かせたというその速度は、どう考えても走っているかのようだった のが、不思議でなりません。

 風のように早く歩くこと、というのが、結局のところ先生の最大の教えだったので しょうか。だったらぼくはまだその秘密を学んでいません。足の運び、脊椎の立て方 、体重移動、踵の着地のタイミングといった歩行の秘訣を、ぜひいつか、新宿の路上 ででも授けてください。ではまたどこかで。さようなら!

(1999.02.18)

 

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