もうひとつのアメリカ/もうひとつの日本
東松照明インタヴュー


10年に一度の「恋愛」

…… 『時の島々』、今まで見たことのあった写真が、また全然違って見えて、すごく面白かったですね。
東松 それは私自身もそうです。
…… どういう意図で、以前に撮った写真を新しい形で、しかも自分で編集するのでなく、他人に任せるやり方で出版しようと思われたんでしょうか。
東松 こういう方法をとるようになったのには、いろいろな経緯があります。遡って言えば、1974年にニューヨーク近代美術館で「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー」展というのがありまして、そのときにキュレーターのジョン・シャーカフスキーが一カ月ぐらい東京に滞在して、写真集やカメラ雑誌を見ながら、12人の日本の写真家の作品を選んでいきました。それで土門拳、石元泰博、奈良原一高、森山大道たちと一緒に私の写真が40点ぐらい選ばれたんですけど、私はその選び方にびっくりしたわけです。向こうはアメリカ人で日本の歴史や事情も知らないでしょうから、たぶん絵柄だけ見て、一本釣りで選んだんでしょうね。たとえば私の場合ですと、「NAGASAKI」とか「OKINAWA」とか、いくつかのシリーズでまとめてますけど、そのシリーズをまったく無視して選んで混ぜ合わせる。私が自分の都合で作っているバリアーというか囲いを取っ払って、自由な眼で見ている。大袈裟な言い方をすれば、「国境」を取り払われたわけですね。私にとって一つ一つのテーマは「国境」みたいなものです。作者の私には考えられない組み合わせで、非常に面白い効果があったし、私自身にとってすごく新鮮だった。自分の写真の再発見というのがあったんです。これは新しい写真の可能性かな、とそのときから感じていたんですね。
 その後、そういう機会がなかなかなかったんですが、1986年に、私は心臓のバイパス手術をして、その直後C型肝炎になってやる気力がなかったときに、パルコ出版から写真集を出さないかという話がありました。その時思いついたのが伊藤俊治さんにお任せするということでした。1981年に「いま!! 東松照明の世界・展」というのが日本の主要都市を30カ所ぐらい巡回したとき、『アサヒカメラ』の連載で12人の筆者が書いてくれたのですが、その中で、確かまだ東大の大学院生だったと思うけど、伊藤さんの文章がとくに印象に残っていて、彼ならシャーカフスキーのときのように私を驚かせてくれるのではないかと思ったんです。それで彼の責任編集で作ったのが『廃園』という写真集です。その時も私は一言も口出ししていません。まあ、できるような体調ではなかったということもありますけど、シャーカフスキーのときの経験があったので、セレクトを委ねることによって自分自身を再発見できるのではないかという期待があったわけです。自分だけで管理していると、狭い範囲からなかなか出られない。他人に任せて、それを他人事みたいにして見たときに、違う自分の顔が見えてきて自分をもう一度見直す契機になる。そういう「前科」がありまして、それがちょうど10年に1度ぐらいずつという感じで癖になったところもあって(笑)、今回の企画に至ったわけです。
…… 写真家がそういう形で他人に委ねるのは相当勇気が必要だと思うんですが。
東松 べつに勇気はいらないけれども、そういうパートナーが見つかった時しかできません。だから恋愛みたいなものですよ。10年ごとに惚れた女と出会わないといけない(笑)。
…… それにしてもシャーカフスキー、伊藤俊治、そして今福龍太と、すごい「恋人」ばかり出てくる(笑)。しかし逆に言えば、写真がある意味で、撮られた時代や作者の意図から独立して、「恋人」を引き寄せるような何かを持ってないとできない作業でしょう。
東松 そうですね。今福さんは「抽象性」という言葉でいっていますけど、写真の喚起力みたいなものだと思います。私の写真に限らず、喚起力のある写真であれば、いろいろな人のいろいろな感情を揺さぶるわけですからね。
…… 写真家が他人に自分の写真を預けて編集するということでは、たとえばカルティエ=ブレッソンの例があります。80年代に入って、MOMAのキュレーター、ピーター・ガラシが初期の写真やアメリカを撮ったものを編集して写真集を出しましたけれども、すごく活き活きとしたいいものになっています。自分で選ぶと、世間が受け取ってきたブレッソンのイメージに強く影響されてしまって、ある意味でごく当たり前のブレッソンになってしまう。東松さんもそうだと思いますけど、セレブリティーになればなるほど、世評が影響力を持ってくるでしょう。
東松 それに世評というのは作家を変えますよね。世の中に一度送りだしてしまった作品は、作者の思惑を離れて一人歩きしていって、そこに外側から見た人の価値観が付与されていく。それが逆照射して作家の制作に反映するわけです。一応発表したけど自分ではあまり気に入ってなかった写真でも、人がいいと言うものだから無視できなくなって、時間が経つにつれて良く思えてきたりします。だからやっぱり写真は生き物なんですよ。そういったことがあるからこそ世の中に出していくことが重要になる。そうでなければ、経済的なことは別としても、撮りっぱなしで社会に送り出さなくてもいいわけですね。けっこう自分の美意識に固執して耳を貸さない人もいますけど、私の場合はリアクションを大切にしています。だから人さまの影響は大好きです(笑)。
…… ただ、この『時の島々』は、カルティエ=ブレッソンの場合ともちょっと違うと思うんです。
東松 それはどういうふうに違うのか、私のほうがお聞きしたいですね。
…… ここでの今福さんの立場は、キュレーターとか編集者の立場とは少し異なりますよね。ピーター・ガラシがまとめた本は確かに面白いけれども、やはり「カルティエ=ブレッソン写真集」の一つのヴァリエーションなんです。でも『時の島々』の場合は、二人が対等の関係で作った共同制作だと僕は受け取りました。そういう意味で、これまでにはなかった写真集だと思ったんです。
東松 そうですね。ただ、作っていく過程での互いのやりとりは全然なかったわけですから、そういう意味で共同制作と言えるかどうかわかりませんが、確かに対等の関係のコラボレーションにしたいというのが、はじめから私の希望でした。最初は今福さんも従来の形にしか受け取っていなかったようですけど、それでは面白いものができないと思って、私のほうから申し入れたんです。だから、この表紙のデザインも私がやったんですよ。水平線の上に二人の著者の名前がフワッと浮かんでいるというイメージで、これを「コラボ船あるいは時の島々」と呼んでいるんですけど(笑)。
…… パッと見て、これは変わった表紙だなと思いました。潜水艦から潜望鏡で見てるみたい。 東松 これまでこういった写真と文章のコラボレーション写真集はいくつかありますけど、面白いと思ったものがないんです。今回は、私が自分の写真を投げ出すピッチャーで、それを受け取る今福さんはキャッチャーです。バッターボックスに立っているのが読者です。結局彼が写真や写真家に則してものを書かなかったし、そういう選び方をしなかったということが、うまくいった原因だと思います。べたつきもないし、ねじ伏せもない。この写真集からどのような情報を引き出すか、バッターの力量が問われるわけです。

文化人類学と「アメリカ」

…… どういう理由で今福さんを選ばれたんですか。
東松 それはまず、文化人類学という学問にずっと関心を持っていたことが直接の理由です。というのは、文化人類学者とか民俗学者はフィールドワークしますから、写真を撮りに現地入りすると至る所で彼らにぶつかるわけです。とくに沖縄ではいろいろな人に出会いました。写真家と文化人類学者は、もちろん発想も方法も違いますけども、スタンスが非常に似ているんです。それと、私が学生時代に最初に感銘し、大きな影響を受けた人がルース・ベネディクトなんです。ご承知のように、米軍の依頼で日本社会の特殊性や日本人のメンタリティーを分析した『菊と刀』(1946)という有名な本があるわけですが、その翻訳本を読んで非常に驚いたのが、ちょうど写真を始めた頃でした。その後も、考えてみると私は、アメリカの文化人類学者や社会学者の影響を受けているんですね。VIVOをやめた1963年頃には、ダニエル・ブーアスティンが『The Image』(1962)という本を書いて、その翻訳が出た。邦題は『幻影の時代』ですね。写真論ではなくて、マスコミ論ですけど。私はすごく感銘を受けて、ブーアスティン言うところの「疑似イヴェント」、今の言葉ならヴァーチャル・リアリティー、そんな写真を撮っていました。それが、ちょうど日本の高度成長が始まる時期ですね。その後は京都を撮っていた時に、クリフォード・ギアーツの『ヌガラ−−19世紀バリにおける劇場国家』(1980)という本に触発されています。ヒンドゥーイズム、つまりインド文明のミメーシスとしての劇場国家がバリ島だという。京都もそれと同じで、中国文明のミメーシスとしての国づくりを演出したわけですね。外来思想をシナリオとして国づくりをする、それが日本文化の受容パターンです。そんなわけで、私の場合、影響を受けたのはアメリカの学者が多いのです。
 そんな下地があって、今福さんの本と出会うわけです。といっても、そんなにたくさん読んだわけではないんですが、最初は『クレオール主義』、それからわりと最近ですけど『野性のテクノロジー』や、多木さんとの対談集(『知のケーススタディ』)とか、何冊か読みました。それで「今福龍太は日本のレヴィ=ストロースだ」なんて言ったりして、まだ彼に会う前ですけどね(笑)。レヴィ=ストロースと言うよりも、アメリカ人類学の基礎を築いたフランツ・ボアズの息子、あるいはルース・ベネディクトの弟と言ったほうがいいかもしれませんが。そういう経緯で今福さんに関心を持ったんです。
…… 今のお話で、接点として人類学と、もうひとつ「アメリカ」という問題がありますね。この本の後記にも書かれていましたけど、やはり東松さんの中で「アメリカ」の存在が非常に強い、その「アメリカ」との距離によって撮影という行為が導かれてきたという印象を受けるんです。 東松 私はアメリカにまだ一度も行ったことがないんですよ。
…… そうですよね。そこがお聞きしたいところです。
東松 まあ、単純にチャンスがなくて、向こうで写真展はよくやるんですけど、メトロポリタン美術館でやったときも癌の手術後で行けなかったんです。一度は行かなきゃと思ってるんですが、果たして死ぬまでに行けるかどうか(笑)。
…… 僕は東松さんが撮っているのは、要するに「もう一つのアメリカ」だと思うんです。セバスティアン・サルガドの最初の写真集がやはり「アナザー・アメリカ」というタイトルで、それは直接的には南アメリカを意味しているわけですけど、東松さんのはそれとは違う意味で「もう一つのアメリカ」、アメリカ人が知らない「アメリカ」なんですね。
東松 そうでしょうね。日本にある米軍基地の風景、あの基地周辺の町並みというのは無国籍的なんですってね。私はてっきりアメリカのどこかの町に似ていると思っていたんですけど(笑)、アメリカ通に聞いてみると、あんな町はどこにもないと言うんです。でもこれは紛れもなくアメリカだよって私は言ってますけど、非常に不思議なたたずまいの町です。

イメージが散種する

…… 不思議なことがありまして、この本が届いてすぐに見ていたら、妻のカトリーヌが反対側から覗きこんで、「それ、ラテンアメリカのどこの国?」と聞くんです。 東松 本当? それは面白いね。
…… それで、すぐには答えずにいたら、「これボリビアでしょ」とか「これはブラジルね」とかって言うわけです。彼女はフランス人ですからラテンアメリカについてある程度知っています。最後まで見てから、実はこれは全部日本なんだよ、と言ったら、「何言ってんの」って笑って、全然信じてない(笑)。でも確かに僕もそういう印象を受けたんですね。これは南米だな、と。 東松 南米をフィールドワークしてきた今福さんが選んだ写真だからかな。
…… それだけではないでしょう。東松さんが撮ってきた日本というのが、日本という国境に規定された場所であるにもかかわらず、それを超えた世界を撮っていたということだと思うんです。たとえば長崎ならば、カトリックという要素があります。南米というのはカトリックの大陸ですし、それから移民社会ですね。そこに基地周辺独特の無国籍性というか、「作りかけ文化」みたいなものに通じるところがあると思う。
東松 それと私の南方指向が重なり合っているのかもしれませんね。
…… まさにその「南」なんだと思います。新宿で撮っていても、沖縄で撮っていても、その南方性というのが刻印されている。今までの写真集や写真展ではその辺りはよくわからなかったんですが、今回の本でそれがはっきり見えてきた。それと、もう一つは、この本の写真が日本の中だけで撮られているということによって、逆説的に「日本」という統一的なイメージがいかに仮構されたものであるかを語っているんですね。つまり、これは「もう一つのアメリカ」であると同時に、「もう一つの日本」でもあるわけです。
東松 「長崎」とか「沖縄」というふうに地域を限定してしまったり、テーマとかタイトルといったバリアで囲い込んでしまうと見えないものが、枠組みを取っ払うことによって見えてくるわけですね。一枚の写真が持っている情報量が、垣根をとることによって一気に膨らむ。
…… 一枚の写真というのは確実に、たとえばここにあるデモの写真もそうですけど、ある時と場所に限定されているわけですね。にもかかわらず、不思議なことに、それが種が流れていくように移動していって、流れ着いたところで別の芽を出して、別の植物を作っていくようなところがあって、たとえば、この本に出てくる「象の檻」の写真にしても『廃園』の中の写真と同じものなのに、全然違うものとして見えてくる。そこが東松さんの写真の凄いところだと思います。
東松 それと同じことが今福さんの、固有名詞を排除して、物事を限定しない文章にも言える。だいたい学者の文章というのは、分析と検証の末、理論で武装する。けれども、今福さんの場合は非常に詩的というか、写真の方法と似ていて、直感力で一気に核心を掴むような書き方ですね。だから文章を読むと写真に膨らみが出てきて、写真を見ると文章をまた読みたくなる。写真が孕むイメージの幅というか見えない部分が、言葉の衝撃によって弾けて広がります。言語の風に乗って遠くに飛んでいくような、そういう膨らみがあると思うんです。
…… それは本当に一番強く感じたことですね。いろいろなダイナミズムが生まれていて、言葉とぶつかることで写真が散種していく。
東松 写真家が自分の撮った写真に自分で言葉を付けると、こうはなりません。やはりこの本はその意味で、異種交配の持つ広がり、ヘテロジーニアスな良さが出たような気がします。自分の写真でありながらそうでないような、文章を読んでまた写真を見ると新しい発見があったりして。こういう作り方はときには楽しいし、写真の幅を広げます(笑)。
…… うらやましいですね(笑)。おそらく10年後にはまた別の異種交配があるでしょうから、それも楽しみにしています。

(1998年3 月16日、東京にて 聞き手=港千尋)
<初出:「デジャヴュビス」1998年>