カフェ・クレオール

このページは、文化人類学者の今福龍太をカフェ・マスターに、お客さまとともに運営していきます。これからメニューを充実させていきますので、みなさんのご来店をお待ちしています。

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カフェ・マスターからのメッセージ
今福龍太

サイバーウェブの網目のなかにカフェを開店することの最大のメリットは、経済原理の束縛から限りなく自由でいられることです。

ページを作成するための最低限の経費や労力はあるにしても、このカフェでサーヴされるものには地代がかかっていません。材料費もアイディアと想像力と探求心といういたって曖昧なもので、これらは貨幣経済の機構のなかでひどく過少評価されている「安い」ものです。

給仕人もいますが、彼ら/彼女らはただ働きをすることに生きがいを感じ、しかもノーチップで奉仕しようと言っています。食器やインテリアにはほとんど投資していませんが、サーヴされるもの(ほとんどもっぱらテクストの形状をしています)の質感や気配が、おのずからカフェの雰囲気をつくりだしていくでしょう。

というわけで、経済原理からまったく自由になったカフェに飛び交う言葉もまた、従来の書物や雑誌が活字に要求した「商品」としての制約を可能なかぎりふりすてた、とても自由なものになるはずです。自由で、ときにエキセントリックで、ときに破壊的。経済にさえ支配されなければ、言葉はその本来の起爆力をすぐにも回復するに違いないと楽天的なマスターは信じたいのです。

言葉が、生きた言葉として発生する渾沌とした現場に寄り添いながら、純粋性や一貫性でなく、混淆(クレオール)の力をたのみとして、このカフェはさまざまなテクストやイメージをサーヴしていきます。制度化され、自動化され、日常の無数の規制のなかで閉塞する言葉や知識に、もういちど接触による異種交配と再生の契機を与えることで、「カフェ・クレオール」は来たるべき言語空間の未来のひとつの姿を暗示するものになるかもしれません。

●このカフェを訪問する際のテクニカルな注意を一つ。

当カフェで使用される言語には制約がありません。当面、外形的には日本語とみなしうる言語が大勢を占めるかもしれませんが、その日本語ですら、「国語」としての純正な外形を保とうとする自動的・無意識的な規制が解かれてしまえば、すぐにもピジン化をはじめるかも知れないのです(すでに海外帰国子女や、外国人労働者によって、内部からのそうした日本語の流動化は始まっています)。

おなじように、英語、フランス語、スペイン語、マンダリン、カントニーズ、コリアン、スワヒリ……といった、これから登場するかも知れないあらゆる言語も、それがかならずしも特定国家との自明の帰属関係によって定義されるものではないことを、ここで確認しておきたいのです。

言語を外形的に「国語」として封鎖していたイデオロギーそのものを、このカフェは批判し、乗り越えようと考えています。そのためには、できる限りマルチリンガルであることが必要なのです(ただしこの場合、マルチリンガルであるために、どの一つの言語についてもパーフェクトな能力が要求されたりはしません。むしろ稚拙に言葉の境界を渡り歩くことが、コミュニケーションの未知の回路を開くであろうことをマスターはひそかに確信しています)。

マルチリンガルとは、じつは、多くの言語をスイッチしながら巧みに操る能力のことではなく、表面的には一つの言語のように見えるテクストのなかに、いくつもの「ことば」の繋がりや紛争を読み解いてゆく、言語的政治学の技術のことにほかならないからです。


当カフェがサーヴする特別メニュー(ただいま調理中です、もう少しお待ちください!)
●飲み物 モヒート
●食べ物 ニンニク


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copyleft 1996 by Ryuta Imafuku
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