今福 龍太 シェイクスピアと"Americas" 3  
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命名の錯誤

 

 芸術、美、高潔さ、真実、感受性・・・。ロドーの『アリエル』(一九○○)において、妖精アリエルの彫像のまわりに集まった若き学徒たちに向かって教師<プロスペロ>が説く美徳のありかはこうしたもののなかにあった。こうした美徳こそが、二十世紀の曙光を浴びるラテンアメリカの精神性を特徴づけ、未来のラテンアメリカの自己同一性を保証すべきものとそこでは考えられた。『アリエル』はその結論部分で、ラテンアメリカ人の求めるべきアリエル的美徳の本質をこう直截に提示する。

 勝利に浴するアリエルが意味するものは理想主義と生活の秩序である。思考の高貴な霊感である。道徳における無私である。芸術における良き趣味、行動におけるヒロイズム、日々の習慣における繊細さである。彼は人類の叙事詩における名祖としての英雄であり、不死の導き手なのである。(Rodo, Ariel, p.98)
 すでに述べたように、精神のアリエル的美徳の一方的称揚は、その背後にキャリバンという怪物的形象によってイメージされた北米の物質主義と功利主義的性向への強い批判が込められていた。北米の民主主義の名による市民社会の到来は、世俗的安寧のみをひたすら希求し、その先にいかなる生の精神的目的性をも想定しないという点で、文明の大きな堕落とロドーには映った。この、北と南に対峙する「アメリカ」という意識の分裂した構図を語るために、ロドーはアリエルとキャリバンという対立的な形象をシェイクスピアから借り受けることになったのである。
 『テンペスト』の登場人物のこの二○世紀におけるはじめてのアメリカ的援用は、一九世紀後半のヨーロッパ思想史において重要な位置を占める文献学者・宗教史家エルネスト・ルナンの思想のこだまを間接的に受けたものだった。講演「国民とは何か」(一八八二)によって、フランス近代における「国民」概念を定位したことで知られるルナンは、『キャリバン---『テンペスト』その後』(一八七八)および『若返りの水---キャリバンその後』(一八八一)という二つの戯曲によって、パリ・コミューン以後のフランス第三共和制初期の政治過程と彼の思想的方向性を、シェイクスピア的隠喩として描き出していた。ルナンの『キャリバン』は、民衆蜂起を先導してミラノで権力の座につくキャリバンと、プロスペロの没落と、人間的策謀に嫌気のさしたアリエルの自然の精霊への回帰=消滅によって最後を迎える。鵜飼哲が説くように「それは、公共空間への大衆の登場を逆転不可能な時代の流れと見定めた著者による、新たな政治原理の模索の場」となったが、最終的にルナンのアルター・エゴとしてのプロスペロの孤立と諦観は、共和制による市民社会の成立という未来への方向性を前にして、自らの立場を見いだし得ない貴族主義者の犠牲の精神を示すものだった。高貴な精神主義を象徴するアリエルが消え、勝利に沸く群衆と政治操作をめぐる狡知にたけたキャリバンの手に世俗世界がゆだねられるという結末は、政治と精神、物質と魂、科学と宗教の決定的な分裂の時代の到来を、シニカルで反民主主義的なエリート主義によって揶揄していたのである。
 だがこうしたルナンの精神主義への屈折したこだわりの感情は、ロドーのラテンアメリカ人としての自己意識に一つの光明をあたえることになった。『アリエル』のなかで、教師プロスペロは聴衆に向かって、功利主義に支配された北米的民主主義の欺瞞によって審美主義と自己犠牲の精神とが陵辱されたことを告発しつつ、昂揚した口振りで「ルナンを読みなさい、そうすれば私と同じように、君たちも彼をあがめるにちがいないから」(p.57)と若き聴衆に呼びかける。ロドーはつづける。
 近代人のなかでルナンほど、アナトール・フランスが神聖視したあの「典雅な教え」の技芸に恵まれているものはいない。もっとも厳格なときですら、ルナンの分析は司祭の塗油の儀式を思わせる。彼が、疑いを持つように私たちに諭すときも、その疑いは治癒力を持った優雅さによって和らげられている。彼の思考は、聖なるこだまのように私たちの魂を充たしながら広がってゆくので、それはまるで典礼音楽のような言葉に聞こえる。・・・ルナンの考えでは、民主政治が浸透した社会における生の観念は、最大多数の最大幸福という装いのもとに、しだいに物質的な幸福のみを追求する方向にむけて形成されてゆく。ルナンにとって、民主政治がキャリバンの戴冠式であるとすれば、アリエルは必然的にキャリバンの勝利によって打ち負かされざるを得ないのだ。・・・精神の選択----それは良質な趣味や芸術性や永遠の理想への憧憬への利他的な鼓舞によってはぐくまれた生の昂揚であり、高貴さを至高の価値と信ずる感情のことであるが----は、合理主義的な平等観念が統治の階層性を破壊してしまったような社会においては、およそ支持しえない弱点とみなされる。・・・だが社会における真の平等とは、自然の真の同質性がそうであるように、精妙な均衡のなかにのみ存在するのである。(p.57-9)
 ルナンによりながらロドーが述べているのは、キャリバンの勝利とアリエルの消滅として現れつつある市民社会の功利主義的欲望への批判と、それによって危機に晒される精神文化の擁護である。北米社会の政治的・経済的台頭を前にしたラテンアメリカ人の危急の思想的対応としてみたとき、こうしたルナンの援用は、歴史的的な必然性をたしかにそなえている。アメリカ合衆国という根なし草文化の凶暴なマテリアリズムに新たに晒され、一方で過剰に土俗的で孤立したスペイン文明の支配下に置かれつづけた経験のなかで、ロドーによる「フランス的知性」の援用は、北米もスペインも与えることのできなかった、フランスが示す、精神の古典主義的なルーツの感覚への強い欲望と傾斜であるとも考えられるからだ。
 だが、ロドーによるルナン受容は必ずしも連続的なものではない。なによりもルナンの屈折したシニシズムのなかでは空気の精として雲散霧消した感のあったアリエルを精神主義のシンボルとして復活させて表題に掲げ、アメリカの未来をキャリバンとアリエルの対抗的かつ相互補完的関係として幻視したロドーは、懐旧的な貴族主義の罠からは解放されていたからだ。ときに、調和や完璧さを未来の精神文化の統合的生成への核心にすえて熱っぽく語るロドーの思考の身振りは、その意味でルナン的というよりははるかにその批判者であるニーチェに似ていた。
 唯物論的なキャリバンの領土にアリエルの審美主義が浸透してゆくことによって生まれるアメリカ大陸の「未来の高次の調和」こそが、ロドーの汎アメリカ的コスモポリタニズムの理想であった。ダリーオ的モデルニスモの正統の継承者として、「一つの種族による別の種族の一方的な模倣によってではなく、それぞれの種族の特徴と美質を互恵的な影響関係と理にかなった調和によって顕在化させる」ような文化的アマルガムの出現をロドーは夢想していた。そして北米文化のもっとも粗暴なキャリバネスク的側面が、そうした文化的アマルガムの出現以前にラテンアメリカを覆い尽くしてしまうことこそ、彼がなによりも恐れるシナリオだったのである。アリエルによる警鐘は、そのためにこそ必要だった。
 民族の自己同一性と世界の普遍的価値とを調停しうるコスモポリタニズムとは、ロドーによれば「過去への忠誠と、未来を形成してゆく力の双方を含む」ものだった。ラテンアメリカの植民地的過去と混血的未来こそ、まさにこの両者が融合して新たな世界を築く条件でもあった。その意味で彼は、多様性ある統合を指向する、きわめて現代的な文化多元論者の資質をも充分に持っていたことになる。
 アメリカの未来を西欧古典主義的な審美感のもとにまなざすロドーのユーロセントリックな矛盾と限界を認めたとしても、『アリエル』の現代的な可能性の核心が、この「多様性ある統合」のヴィジョンをめぐる深遠な考察にあることは否定できない。ラテンアメリカ人のみならず、二十世紀末の世界をともに生きる私たちが危急の要請としてつきつけられているのは、まさに、ナショナリズムとも呼ばれる共同体の自己同一性の獲得の後に訪れた、新たな他者性とともに生きるための試練だからである。カルロス・フエンテスはロドーの思想の彼方にそうした他者性との架橋の可能性を透視しながら、こう書いている。
 文化の水準では、それは自己の民族的・地域的自己同一性を保持しつつ、それを他者性=代替可能性の水流のなかに試みに浸してみることである。他者こそが、私たちの「われわれ」という概念を規定するのだ。孤立した自己同一性の意識はすぐに破綻する。それはただちにフォークロアとなり、マニアとなり、鏡のなかの芝居へとなり果てるだろう。(p.18)
 アイデンティティを他者性=代替可能性に接触させること。市民社会の諸価値とは、フエンテスがいうように、国家、軍隊、境界、政党といった中央集権的な制度ではなく、むしろ遠心分離的な運動であり、それは中心の権力によっては回収不可能な拡散的創造性によって特徴づけられる。そしてたしかにロドーは、ラテンアメリカの自己同一性への信仰が鏡のなかの芝居として他者から隔離し自己閉塞する道から、それを離脱させる重要な第一歩を『アリエル』において示した。だがロドーはいうまでもなく、ラテンアメリカが想像しうるあらゆる遠心分離的な運動性を等しく提示することはできなかった。北米アングロサクソン文化への対抗的言説は、ロドーの西欧中心主義的審美学によって、つねにアメリカにおけるラテン文化の系譜をそれに対置することで充足したからである。ロドーの示しえた他者性への通路は、たった一つのオプションに終わったのである。
 ロドーのオプションから決定的に漏れていたのは、一つにはインディオ文化という先住民アメリカの遺産への考察だった。あるいは大西洋的な関係として植民地ラテンアメリカを根元から規定することになった、アフリカ的文化の離散と定着だった。そしてまさにこの、先住民アメリカとアフロアメリカという二つの視点の決定的な欠落によって、ダリーオからロドーへと受け継がれた「キャリバン」と「アリエル」の象徴的意味論は、二十世紀を通じての汎用性を示すことができなかったのである。西欧指向的な、十九世紀的世界観と教養を保持した旧時代のラテンアメリカ知識人による言論の独占が終わり、新しい世代の文化的・政治的リーダーが生まれてきた二十世紀半ば以降、キャリバン/アリエルの意味論は変容してゆく。なぜなら、新たな文化的リーダーとは、ダリーオともロドーともちがって、インディオやアフリカ人の系譜をかかえるメスティーソ(混血)的・クレオール的な出自をその身体と精神に深く宿していたからである。
 とりわけ北米の怪物性を担う記号としてのキャリバンは、その異形性・奴隷性・反逆性によって、混血アメリカの自己意識を直接に受けとめて新たな世界観を構想する特権的なシンボルへとカリブ海知識人によって彫琢されてゆく。ラミング、ブラスウェイト、セゼール、フェルナンデス=レタマールらによる、このキャリバンの意味論の逆転はたしかに強力な声として表明されたが、それはロドーのキャリバンへの深い理解の上に根ざしてもいた。ロドーが開いた道を、混血の学徒たちは決して踏みにじることはなかったのである。その意味では、こう総括することは正しい。すなわち、「ロドーは危険の名をおそらく誤って命名してしまったかもしれない。だが彼はその危険がどこに存在するかについては決して誤らなかった」(マリオ・ベネデッティ)、と。   

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