今福 龍太 シェイクスピアと"Americas" 8  
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翻訳による喪失と発見
---グスタボ・ペレス=フィルマの『バイリンガル・ブルース』

 

 二十世紀前半に「混血キューバ」という自己意識がいかに浮上してくるかを、音楽と詩のかかわりのなかで検討してきたいま、キューバにおけるキャリバンの反乱が、変奏された「スペイン語」による言語行為としてなされた意味を現在から逆照射してみることは、重要である。混血キューバの文化的地層を、二十世紀初頭のモダニズムの思想圏において土着的な文脈から再発掘し、それに表現を与えたオルティス、カルペンティエール、ギリェンらの仕事は、ある意味で言語的実践という水準においても、スペイン語を二十世紀のカリブ海的な言語作法の領分に引き寄せて変換する「トランスカルチュレーション」の行為だったからである。
 彼らの仕事を、そうした言語的変換のきわめて重要な事例として見なすような発想は、キューバの現代的な離散によって北米における「キューバ」の存在が文化的な形態として一気に浮上してくる一九八○年以降に、在米のキューバ系知識人によって、とりわけ意識されるようになってきた。その代表的な論客が、詩人のグスタボ・ペレス=フィルマと、批評家のアントニオ・ベニーテス=ロホである。
 オルティス、カルペンティエール、ギリェンらのテクストを、ヴァナキュラーなスペイン語による、一種の創造的「翻訳」の行為であったとみなし、そうした文化・言語の「翻訳性」を現代の亡命・離散キューバ人の条件を特徴づけるアンビヴァレントな言語意識へと架橋しようとする刺激的な著作が、グスタボ・ペレス=フィルマの『キューバン・コンディション』(一九八九)である。「現代キューバ文学における翻訳とアイデンティティ」なる副題のついたこの野心的な著作は、おもにアフリカ系住民によって変容し、鍛え直された日常のヴァナキュラーなスペイン語、すなわち「クバニスモ」(キューバ語)の成立に焦点を当てながら、そうした混淆的言語表現の持つ文化論的側面について精緻な分析を加える。
 ペレス=フィルマは、オルティスが「トランスカルチュレイション」と呼んだプロセスを、より戦略的な意味において「翻訳」(トランスレイション)として規定し直す。ラテン語のtransferre(船などが海を越えて移動するといった含意をもつ)に由来する「トランスレイション」は、語源的にも転位、場所からの離散、一言語から他言語への意味の改変といった多義的な意味論をかかえこむことによって、コロニアル、ポストコロニアル社会における地理的・言語的な移動と転位のプロセスを的確に指し示すことができるからだ。ペレス=フィルマはこう簡潔に定義している。「翻訳(トランスレイション)とは場所の転位である。ゆえに言語間を翻訳する者とは、言葉を選択することが、彼自身の距離を保つことであると心得た者のことである」(Firmat, Cuban Condition, p.5)。
 ある言語が別の言語へと置換され、あるいはある言語が別の言語を呼び込むようにして改変されてゆくプロセスは、キューバにおいては半島のスペイン語からクバニスモへの混沌とした変容劇として起こった。先住民社会の言語的残存の影響力と、よりアクティヴなアフリカ系諸言語の新たな注入とを経験することで受容した植民地時代のスペイン語が、ヴァナキュラーな日常言語としてのクバニスモを生みだし、オルティス、カルペンティエール、カルロス・ロベイラ、そしてニコラス・ギリェンらによって、そのくだけた口語表現が学問的対象や文学的言語として採用される。これらのクバニスモの文字言語としての転用は、すなわち、半島スペインからの、キューバ知識人の認識的「距離」をあらわしており、それはまた、スペインのスペイン語文学の伝統をキューバにおいて「翻訳」し「再創造」することによって生まれたキューバ文学の宣揚の意志を示してもいた。
 ペレス=フィルマは、とりわけニコラス・ギリェンの「詩によるソン」をヴァナキュラーなスペイン語のラディカルな用法として評価することによって、詩人としての彼自身が、先行するそうしたクバニスモによる言語実践の系譜に連なっていることを確認する。さらに彼は、『ソンゴロ・コソンゴ』におけるギリェンの作品が、ソネット(十四行詩)やマドリガル(田園詩)といったヨーロッパの中世詩の形式をムラート化し、メスティーソ化する「翻訳」行為であったことを検証しながら、彼の言う「翻訳」概念が、すぐれて内在的なもの、すなわちスペイン語という言語内部における紛争と更新の運動であったことを説得的に示してゆく。翻訳が行われるはざまの空間は、スペイン語とその外部とのあいだにあったのではなく、むしろスペイン語の内に広がっていたのである。
 言語間の意味論の素朴な対応の原理を信奉する翻訳論が、もはやポストコロニアリティに特徴づけられる無数の権力と差異の輻輳した言語空間においては成立しえないことは明らかだ。むしろ翻訳とは、自らが帰属し使用してきた体系を内側から更新し、変革する方法なのである。植民地時代を通じて、人々はまさに支配的文化や言語にたいする非連続を自らの文化形成のプロセスにに導入し、そこでアイデンティティの翻訳や交渉をねばり強くつづけてきた。外在化された「多文化主義」によってふたたび民族文化をエキゾティシズムの構図に封鎖するのではなく、文化的な異種混淆性が書き込まれ、分節化されてゆく内的過程にこそ注目すべきであることを主張しながら、『文化のロケーション』においてホミ・バーバはつぎのように述べている。

 「あいだ」、すなわち翻訳と交渉のおこなわれる切り口の部分、この縁の空間こそ、文化の意味が担われる場であることを忘れるべきではない。この空間に注視することで、私たちは「人民」の民族的な歴史、あるいは反民族主義的な歴史を見定めることが可能となる。そしてこの「第三の空間」の探求を通じて、私たちは二極分化した対抗的な政治学をはなれて、私たち自身の中の他者として現れ出ることができる。(Location of Culture, 38)
 翻訳のはざまから、自分自身が他者として出現すること・・・。この驚くべき文化的顕現の瞬間こそが、キャリバン的想像力によってうながされたキューバの作家・詩人たちの至高の到達点にほかならなかった。
 しかし、他者の顕現としての自己発見は、キューバという島の内部にだけ起こったのではなかった。カストロによる革命勝利の翌年である一九六○年、社会主義キューバの成立を嫌った家族とともに一一歳でアメリカ合衆国へと亡命を余儀なくされたペレス=フィルマにとって、「翻訳」の問題系はさらに複雑な言語的地平を抱え込むこととなったからである。ギリェンによって言語革命として採用されたクバニスモの口語的な通俗性は、ペレス=フィルマのマイアミでの日常において、こんどは彼の亡命生活の空気を刺激する、痛ましくもなつかしいヴァナキュラー言語として甦ってくる。クバニスモは、そのイントネーション、抑揚、韻律、言語的な手触りといったさまざまな要素を通じて、キューバ島を失った彼に強く訴えかける。しかも彼を待ち受ける言葉のはざまに、もう一つの、「英語」という権力的な他者が侵入する。だが英語はペレス=フィルマにたいして絶対他者としてふるまうことなく、むしろ彼の言語意識を懐柔し、なだめ、彼を亡命の境涯から引きずり出そうと啓蒙を試みさえする。なぜなら、一一歳でキューバからアメリカ合衆国にわたるという、俗に言う亡命一・五世代のペレス=フィルマにとって、生活言語・思考言語としての英語の存在感は否定することができなかったからである。
 こうして彼は、若年の移民・亡命者に特有の滑稽かつ悲痛なバイリンガル状態へと陥ってゆく。ペレス=フィルマの詩人としての表現の場は、まさにこの英語とクバニスモという非対称の二言語のはざまにある。彼のこの十五年間の詩作品を集成した『バイリンガル・ブルース』(一九九五)のなかから、表題作を見てみよう。
バイリンガル・ブルース

わたしは矛盾でできたアヒアコ(キューバ風シチュー)。
いつもすべてのものが混ざり合った感覚。
きみの主題を名指してみてくれ、わたしはそれに曖昧に答えるだろう。
きみの前景を名指してみてくれ、わたしはその上にまたがって立つだろう。
一人のキューバ人のように。

わたしには、すべてが混ざり合った感覚。
わたしは矛盾でできたアヒアコ。
じれったく、魔法にかけられ、複雑怪奇。
ハイフンで結ばれ、酸素添加され、不法に外国人化され。
わたしは狂人(サイコ)、歌いながらゆく。
きみがトマト、と言えば、
わたしはこん畜生(トゥ・マードレ)、と言う。
きみがポテト、と言えば、
わたしはお尻(ポトート)、と言う。
穴(hole)のことをアナ(hueco)と呼び、
物(thing)のことをモノ(cosa)と呼ぼう。
そしてもしモノがアナに転がり落ちたら、
きみ自身を家に連れていって、
きみ自身を家族の一員と見なそう。

わたしは矛盾に満ちたアヒアコ
不純でできたピューレ。
誰にもぴったりと完成できない、
ルービック・キューバの小さな四角形。
(チャ、チャ、チャ)
 この、それ自体原文では二言語混交による詩には、調停できない英語とクバニスモとの言語的ニュアンスの違いが、みごとに主題化されている。「わたしは狂人、歌いながらゆく」(psycho soy, cantando voy)という一節は、言うまでもなくギリェンの「ソン 第六番」の有名な「わたしはヨルバ、歌いながらゆく」(Yoruba soy, cantando voy)を踏襲しているが、こうした先人の詩の一節を諧謔とともに自らの「翻訳」行為に組み込むことで、ペレス=フィルマの言語表現はさらに批評性を高めてゆく。
 文化的・言語的に「不安定な均衡」(ペレス=フィルマの詩の表題の一つ)を生きる宿命を背負った「亡命キューバ」という現実は、「翻訳」という概念の適用される批評のテリトリーを、果敢に押し広げてゆくことにつながっていった。   

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