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以下がantipodesの1999年の過去ログです。

 


Saturday, January 02, 1999 at 01:04:19 (JST)
Ryuta Imafuku <cafemaster@cafecreole.net>
対蹠地(たいせきち)。世界のあらゆる土地は、つねに地球の真裏に存在する倒立したもう一つの土地と、重力をもって張り合っている。
このことは、「私」がいつも「非-私」や「反-私」との緊張関係のなかで生成し、生きていることを、地理学的な真理として教えてくれる。
とすれば、自己の対蹠点を想像するこのサイトは、あらゆる対抗言説と反語的機知と、パラレルワールドへの過激なイマジネーションによって成立する、当カフェの先鋭的な造話装置でもあることになる。

Saturday, February 13, 1999 at 22:57:43 (JST)
toshi <imura@gc4.so-net.ne.jp>
自分のなかに潜んでいる他者はその他の他者の写し絵でもあるから、ひとつの他者に焦点を当てようとするとその他の無数の他者を増殖させることになる。そのような、わたしのなかの無数の他者のざわめきに耐えられなくて例えば作家になったとしても、エテロニモ(異名)という他者がいつもオトロニモ(本名)の苦悩を軽減してくれるわけではない。「他者になりたい」が口癖だった作家は国を憂れう振りをして仮面をつけながら死んでいき、ついにエテロニモに出会うことはできなかった。そして私はといえば、誰にも知られることなく他者のはざまに自分をそっと置く夢を見る。言葉それ自体が世界であるような書物の海の汀で、すべての海につながるようにしていつまでも戯れる夢を。

Saturday, February 13, 1999 at 23:00:57 (JST)
井村俊義 <imura@gc4.so-net.ne.jp>
先週のある晴れた日に、名古屋市でもっとも高い山に登り、自分の家と名古屋駅と中部大学を一望の下に見おろせる場所に立った。千年以上の歴史を持つ神社を背にした遥かな眺望は、上空から沖縄島を見たときに連想した鳥瞰図を再び思い出させた。実際、地平線の近くには次々と飛行機が空港という島に舞い降りようとしているのが見える。ふと空を仰ぎ見ると、雲が形状を変えながら気ままに行き過ぎてゆき、それと同じかたちの影を地上に映してゆく。僕はそれらのすべてを見ながら、島狂いの作家を通して近代的な地図の視線のなかから生まれた発想が、同時にそれぞれの土地を地図の束縛から解放する思想となりえたことの不思議さについて思いを巡らしていた。

Monday, February 15, 1999 at 23:07:13 (JST)
imura <imura@gc4.so-net.ne.jp>
あの日ぼくは、病院の窓のない部屋の真ん中におかれた真っ白いベッドの上にいた。後から聞いた話によると、「おまえは一瞬死んでいた」らしい。確かにその時のぼくの性器や腕や足やあちこちには、なにかを暗示するように何本ものチューブが無造作に差し込まれていた。ある有名な建築家が設計した壁のような、ごつごつとしたコンクリートで囲まれたその部屋は、外界からの音を完全に遮断していた。「ドグラマグラ」に出てくる部屋はきっとこんな感じなのだろうと、ぼんやりと考えていた。社会的な時間や空間とはまったく無縁な、孤島のような部屋。ぼくはその時、誰かが許してくれれば、本当に死んでもよかったのかもしれない。しかし完全に覚醒するまでの長いあいだ、ぼくは死に向かいつつあったわけではなかった。頭だけがはっきりと覚醒しているような、妙にしんとした感覚に支配されていたのだった。そのことを、今でも脳のどこかが覚えている。自分の部屋や海外の安ホテルでぼーっとしているときや、山に登っているときや車を運転しているときなどに、ふとその時の感覚がよみがえることがある。「わたし」について考えるときに脳裏に浮かぶのは、いつもその時の感覚だ。身体の一部だけが覚えているような不思議な感覚。私でなくなる私について考えている私。その時の「わたし」とはいったい誰なのだろうか。

Thursday, February 18, 1999 at 07:49:02 (JST)
Fukiko Ogura <umoguraf@cc.umanitoba.ca>
Thank you very much for your information, Imafuku-san. Although the book Imafuku-san recommended was not available in library at my university, I found another book on Miguel, "Miguel Covarrubias Caricatures"(Smithsonian Institution Press:1985), which briefly mentioned that Rosa was a successful dancer. It would be very interesting if their life history were made into a movie. Homepage of Univarsida de Las America-Puebla exihibits Miguel's works and portraits. Currently, I am working on paper about anthropologist, Michael Taussig. His "Devil and Commodity Feteshism" is fascinating.

Thursday, February 18, 1999 at 09:41:12 (JST)
toshi <imura@gc4.so-net.ne.jp>
「昔あなたが書いていた文章が見たい」と言うので押入の奥をごそごそ探してみたら、16歳の頃に書いていたノートを何年かぶりに発見した。当時の僕は、どうにもまとめきれない錯綜した感情を、限られた言葉のなかで格闘しながら、なんとかほぼ2〜3ページずつを書いた後に、最後にいちいち自分の名前と日付を誇らしげに書き記していた。それらの文章を二人で読んでいると自然と議論になってしまうのだが、僕にとっては考えてもみなかった重層的な時間を過ごすことになった。それはおそらく、今の僕は当時の僕を擁護する必要はないのに、かといって全くの他人ではないというところで微妙な感情のずれを感じてしまったせいだ。しかし当たり前のことだが、署名してある16歳の僕の名前は今の僕の名前と何も変わってはいない。同一人物であることを証明するはずの署名の反復不可能性。僕は、当時の僕にいつでも戻ることができるという確信のなかで、その度に差異化した名前を呼び戻しながら、これからも「わたし」の物語を書き換え続けていくのだろう。

Friday, February 19, 1999 at 02:39:08 (JST)
tadashi <tara@sun-inet.or.jp>
テレビとラジオと読書と人との会話を同時にこなすことができ、また頭の中に直接響いてくる「誰か」の声と日々対話しながら暮らして きたというぼくの友人は、一方で、自分という存在が「○○」という親から与えられた名前で括られることがどうしても理解できずに、 居心地の悪さをずっと感じていたという。「私の名前」・・・。繰り返し名指すことで「意味されるもの」としての「私」の同一性を保証するもの。 いっそ、名無しのごんべえになってみようか?「名無しのごんべえ」という名前すらもたない名無しのごんべえに・・・。たまにはいいかも知れない。

Wednesday, February 24, 1999 at 20:22:41 (JST)
toshi <imura@gc4.so-net.ne.jp>
友達の家を訪れると小さな子どもがいる場合が多くなってきた。「ある年齢が来たら結婚をして子どもを作る」という「物語」を忠実に踏襲している彼らに、別に文句もなければ憧れもないのだが、この「物語」には歴史のある時点での残滓が相当量影響しているように思われる。近代以降の資本主義の物語のなかで作り出された集団のなかで、人々は「私」について考えるなどという面倒な不安を回避し、集団に埋没する陶酔と瑣末な競争の快感に没頭して時を過ごすことを覚えた。死ぬまで男女関係に翻弄されながらその度に自分との対峙を迫られ、その過程での副産物のようにして哲学的な文章を書いてきた多くの思想家たちの姿をそこに見ることはない。退屈な群れから飛び出して(私の好きな)あの思想家たちのように「私」と再び出会い、そのなかで共同性を作っていくことの意味について最近よく考える。

Monday, March 08, 1999 at 02:29:22 (JST)
toshi <imura@gc4.so-net.ne.jp>
彼女は、語ってはいけないことや語れないことを語り、禁止されていることや不可能なことを行動に移す。何かに反抗するのではなくきわめて自然にそうする。しかし、彼女はそういう自分の言葉と行動に「意味」を持たせようとしているわけではないから、あえて説明も弁解もしようとはしない。そもそも、まとまった文を読むことも、自分の手で何かを書き記すことも、今までにほとんどしたことがないと言う。一人でいるときのほとんどの時間は、自分の中の無数の他者と語り合うそうだが、今日は僕に向かって、「ある日」のことを雲とともに語り、「西海岸」のことを波のなかで語ってくれた。僕は薄暗い喫茶店の片隅で、彼女の口元を見ながらただ黙って何度も頷く。土地や月日や言葉についてではなく、「ロングビーチの切れたともづな」から生まれた、無辺際に広がってゆく彼女の世界を、僕はいつかどこかで遭遇した風景のようにして幻想の中で楽しむのだ。

Monday, March 15, 1999 at 03:54:08 (JST)
tara <toto@sun-inet.or.jp>
一年のバイト生活、それに続く一年の学生生活にいったん区切りをつけ、来月から再び海外へ赴くことになった。 二年ぶりの外国生活。ぼくは、この二年間の日本での生活で得た、刺激に満ちた多くの新しい友人たちとの ネットワークと、ほんのちょっぴりの学問的知見をたずさえ、二年前とは違った自分として再びかの地へと向かう。 かの地では、ぼくの友人となるべき未だ知らぬ人々がこの瞬間にも生を営んでいて、ぼくの来るのを待ち構えている。 そこには、ぼくの参加を介して芽吹き出すぼくと彼らの新たな経験世界が、まるで大地にまかれた胚芽のように、今は 静かに息を潜めて潜在している。それが顕在化するとき、ぼくは再び組み替えられるのだ。流動し続けよ。 次に「この地」へ帰って来るとき、そこには、さらに新しいぼくがいることをぼくは願っている。

Friday, March 19, 1999 at 20:15:40 (JST)
ritual <imura@gc4.so-net.ne.jp>
僕らの何が何によって組み替えられるのだろう。友人や読書、空気や大地。その中で、とまどいながらなんとか自分を支えていく。それにどうしても耐えられなくなったとき、僕は「ここ」からそっと逃げだそうとする。しかし「ここ」とはどこだろう? 急に、どうにも人と話すのがつらくなり、本のなかの文字は踊り出す。空気が身体をやさしく圧迫し、大地は足の裏で激しく流動する。願わくば韓国に行く友よ、僕の魂の一部を彼の地へ運びたまへ! そうすれば、友も本も、空気や大地を通して「ここ」とつながってゆくだろう・・。深夜に部屋を飛び出して、『不夜城』の新宿で(半々の健一になって)数日間遊んでいるあいだに、ニューヨークの友達から手紙をもらった。Please keep in touch.と最後に記された文字を見ながら、僕は他者が他者であるままに生きることと、他者とつながることとのあいだの<小さな場所>に触れようとしていた。

Saturday, July 10, 1999 at 23:21:31 (JST)
六文銭 <imura@gc4.so-net.ne.jp>
先日ほぼ一年ぶりに「マスター」と名古屋でお会いした。思えば、東京の片隅で悶々としながら『荒野のロマネスク』に傍線を引いていた日々から、もう十年がたとうとしている。しかし、ちょうど4年前の「師」との出会いを通して、僕はやっと暴発することができたのだった。「文学は暴発だ!」(岡本太郎風に)。脈絡のないあらゆることをいっぺんに考えながら、思いもかけないところで激しく振動しながら跳躍する動きだ。マスターという文学上の「同胞」が、僕の話をおもしろがって聞いて道筋を示してくれなければ、僕は今頃どこかの山奥で、陶器という「物質」にでも思いを込めていたことだろう。

Saturday, July 17, 1999 at 16:40:26 (JST)
Grateful Days <imura@gc4.so-net.ne.jp>
「テアトル新宿」で、公開されたばかりの「豚の報い」(崔陽一監督:又吉栄喜による芥川受賞作の映画化)を見る。沖縄本島の南東に位置する「久高島」を舞台にした、人間の持つさまざまな欲望の赤裸々な発露。「熱帯と島嶼」の組み合わせが、どれだけ人間をルサンチマン(感情の反芻)から解放してくれるかを再確認する。女性たちがコミカルに繰り返しこぼす男関係への不満でさえ、正吉が波打ち際で作った真っ白な「御嶽」のなかへと、波音とともに昇華されてゆくのだ。それにしても、波音と沖縄音楽のリズムはなんと精妙に混ざり合うのだろう。音楽とカオスと過剰と感性と情動と陶酔と狂騒と一体化の神「ディオニソス」こそ、三線の奏でるリズムにのってこの「真謝島」に降り立った神だったに違いない。

Sunday, August 01, 1999 at 08:54:45 (JST)
Korean Power <imura@gc4.so-net.ne.jp>
今は亡き母方の祖父が育った街だと聞いていた「高麗川」まで歩いてみた。ここは奈良時代に、朝鮮半島から渡来した高麗人によって設置された高麗郡があった場所である。「井村君の性格はまるで韓国人だ」と今回もマスターに言われたのと、高麗川まで歩ける範囲の土地に越してきたという条件が重なって、ようやくこうして訪れることができた。しかし、当時はまだ珍しかった恋愛結婚を反対された祖母(清水出身)は、祖父の故郷である高麗川に訪れることはできなかったそうだ。だからこの場所に関する情報はすでに何もなかった。結局、反対を押し切って結婚した祖父母は、岡本太郎の「芸術は爆発だ」の源である「下諏訪」に居を構えることになって、母はそこで僕を生んだ。さて、僕が今でもアメリカでお世話になっている人は、マリオット(ホテル)の社長の秘書をしていた人なのだが、山野愛子がアメリカに来ると通訳をしていたそうで、その山野愛子の息子がこの祖父(高校の校長先生だった)の教え子だったということを最近知った。世間は狭い。

Monday, August 02, 1999 at 08:38:40 (JST)
月の浜 <imura@gc4.so-net.ne.jp>
『豚の報い』(主人公は小沢征爾の長男です)のパンフレットには、マスターの他に、作者の又吉栄喜や島尾伸三らも書いています。岡部伊都子はかつて「(久高島は)竹富島にくらべてみると、どこか荒れた、暗い印象だった」と書きましたが、僕は久高の自然だけでイッてしまいましたね。みなさん映画館に足を運びましょう! そんな折、最近沖芸に就職した友達と何年かぶりに連絡を取り合っていたら、彼は山口昌男さんと懇意だそうで、「来冬には札大に集中講義に行くかもしれない」と言ってました。う〜ん、世間は狭い/高麗神社にかかっていた絵馬の三分の一は、ハングルで書かれていました。しかしなぜか韓国には引かれないのである。父親から受け継いでいる南太平洋の血の方が騒ぎます。沖縄では何度も現地の言葉で話しかけられるし、容貌と身ぶりは南方系ではないだろうか。それでも、南米では危ない目にあったことはないが、タイではもう20万円以上投資しているので、「南方」と言ってもインドシナの方ではなく、ネシアから南米にかけての方であろう。

Monday, August 02, 1999 at 21:54:03 (JST)
Isao Matsuoka <fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp>
井村さん、お久ぶりです。
クロスロードから越境してきました。
クロスロードに「豚の報い」が話題になっていると、マスターの書き込みがあり、「多分、井村さんだろうな」と想像していましたが、当たり!でしたね。
崔さんの映画はこれからも注目ですね。ところで、今日は「タンゴ」(カルロス・サウラ)を見てきました。これもなかなかいいですよ。
クロスロードでは、本の読後感を書き込んでいます。井村さんも時々、越境してきてください。では、また。

Tuesday, August 10, 1999 at 16:08:28 (JST)
野良猫
「豚の報い」の音楽担当のCICALA-MVTAのライブが、14日横浜寿町であるようですね。

Tuesday, December 28, 1999 at 19:09:05 (JST)
millennium
銀座でグールドを見た。ゴールドベルクしかまともに聞いてこなかった私にとって、この映画はまるで無頼派の作家のドキュメンタリーを見るようであった。家に帰ってからひたすらグールドを聞きたくなった、という点ではいい映画。無頼派と言えば、新宿で見た「白痴」はイマイチであった。なんだか見え透いた構成と台詞が空回りしている。誰かの小説みたいだ。手塚さんて安吾のファンなのだろうかといった感想。安吾はもっと一途で、もっとはちゃめちゃなはず。芸術らしさなんてもっとも嫌っていたはずだ。キャストもアレでいいのだろうか。「海の上のピアニスト」は、あとちょっとでくさくなりそうなところをかろうじて踏ん張っているのは、ティム・ロスのおかげでしょう。しかし、そのくさいところに私はこっそり感動してしまうのであった。そして、「フォー・ルームス」での彼のイメージをそっと併置してみると、軽いめまいを起こしそうになる。先日マスターにお会いした。一時的に元気になるが、少しするとまた頭がおかしくなる。映画と本はしばし自分以外のものを忘れさせてくれる。今は、本居宣長を黙々と読んでいる。もっとも求心的な思想からもクレオール的な要素を見つけ出せなければ、人はクレオールに疲れてヒトラーを望むようになるだろう。


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